エリーシア戦記
...Record Of Ariesia War...
第59章 苦心惨憺
【神聖紀1232年10月】
――セリア、グランクロス宮殿。
セリアの長くて美しい秋が、行きつ戻りつしながら深まっていく。気がつれば、あれほど街に溢れていた豊かな緑は、少しずつ、赤や黄色にその場所を譲っていた。街路樹の枯葉が風に舞い、枝をリスたちが勤勉に動き回って、木の実を集め回っている。
この秋の最中に、北辺遠征軍が、セリアに帰還した。
将兵は、真新しい凱旋門をくぐってセリアに入城すると、グランクロス宮殿の広大な馬場で整列する。
「上帝陛下、万歳!」
整然と並ぶ将兵の前を、オーギュストが騎乗で進む。将兵は、あらん限りの歓呼の声で出迎えていた。
「……?」
オーギュストは、本郭の正門をその視界に捉えると、正門上部のバルコニーに居並ぶ人々の中を、忙しく視線を走らせて、ある人物の顔を探す。
「……」
そして、その人物の姿がないことを幾重にも確認すると、岩のように表情を固くした。
「ティルは来ていないのか?」
馬の轡を引くファルコナーに小声で問う。
「はい」
ファルコナーが冷静に答えると、オーギュストは手綱を千切れんばかりに強く握った。
その時、足元に、ハポン、ウラキ、ベアールの三将が跪く。
「大勝利おめでとうございます」
「諸君らの戦いは見事であった。以後も、その才覚と技量をもって帝国につくせ」
「はっ」
一同が、恭しく頭を下げる。
その前を通り過ぎると、オーギュストは橋を渡って、正門をくぐった。
グランクロス宮殿は、並郭式に繋がった本郭と二郭を、大きく三郭が輪郭式に取り囲む平城で、かつ、東郭、西郭、南郭を備えた壮大な造りとなっている。
東郭には、馬場と厩と大手門があり、外部から登城する正式なルートであり、諸将はここで下馬する決まりとなっている。
西郭には、来客用の美月御殿があり、また、南郭は、帯のように細長く、翠川に沿って倉庫が並んでいる。
三郭には、七つの独立した御殿が並んでいる。すなわち、クリスティーの御花御殿、カレンの大濠御殿、ミカエラの花畑御殿、アフロディースの成趣御殿、テレジアの磯庭御殿、エルザ=マリアの松濱御殿である。
二郭には、上帝府がある。しかし、実際の政治は、宰相府や統帥府などで行われているために、ファルコナーの秘書室や親衛隊の詰め所があるに過ぎない。
二郭から本郭へは木の橋を渡る。非常時には、この橋を落として、本郭を完全に独立させる事ができるように配慮されている。
本郭の御殿は、巨大ドームの重量を、四方へ分散される建築技術を応用した結果、十字型になっている。
南宮に玄関があり、登城する諸将の控え室がある。将軍位などで通される部屋は決まっており、各部屋は、獅子、虎、豹などの絵で飾られている。
西宮は神殿、教会、宝物庫などのある神域とされ、東宮は皇帝用の御殿がある。
北宮は、オーギュストの日常生活する場であり、奥に五舎からなる後宮が控えている。
そして、北西の角に黄金の浮遊塔がある。
一向は、この後、黄金の浮遊塔に上り、セリアを一望する予定になっていたが、その前に、一旦ドームで皆と別れて、オーギュストは北宮で着替える事にした。
――またか……。
北宮の入口の前に立つと扉の向こうから、激しい言葉の応酬が聞こえてくる。
「そこを退いて頂こう。最前列は、マルガレータ様です」
「いいえ、アメリア様こそが最前列です」
マルガレータの護衛マルティナ・フォン・アウツシュタインとアメリアの家庭教師サラ・ヴィスコンティが、牙をむき出しにして言い争っている。
白い軍服は詰め襟で、肩から袖にかけて青いラインが走っている。アシンメトリー(左右非対称)のフロント合わせで、左胸の上にボタンのラインがあり、動きやすいように切り込まれたミニスカートのスリットと位置が合わせてある。そして、腰を黒革のベルトで縛り、脚を黒いガーターストッキングで引き締めている。
アメリアはサラの背後で、視線を誰とも合わせず、俯いていたり、天井の模様を眺めたりと居心地悪そうにしていた。ここまでサラがむきになる必要はないのに、と戸惑っているのだが、一方で、サラが勝って、今夜の伽を独占できれば、と頬を染めながら思う。
一方のマルガレータは、目の前の出来事にも無関心で、無気力そうに壁に寄りかかってぼんやりとしている。
その少し離れた所に、ヴァレリー・マチルダ・ファン・ルクレールとオードリー・グリーナウェイがいた。彼女らにも側近の女性はいたが、今のところ静観しているようだった。
ヴァレリーのところは、祖国の争乱で順番どころではないし、オードリーのところは、騎士風情の成り上がり者に媚びる気にはならないらしい。
「マルガレータ様は、条約により、特別な待遇を約束されている」
「いいえ、一度も御寵愛を受けていない者が、トップに立つのはおかしい」
個人的な恨みでもあるように烈しく対立する2人。そんな光景に、周りの人々も少しずつ不思議な空気になっていく。
特に、マルガレータの家庭教師であるルイーゼ・イェーガーは、戦闘的な瞳を、両者に向けていた。
ルイーゼは先の戦いで捕虜となった。和平締結により開放されたが、その輝かしい経歴は、傷物になってしまった。
この敗戦の原因は、若い才能を有効活用できなかった、腐敗し硬直化した軍上層部にあり、それを許すアルティガルド王家の責任である。とルイーゼは思う。ならば、もはや軍に何の未練もなかった。
そんな時、学歴というものは便利なもので、マルガレータの家庭教師にという話が舞い込んできた。
サリス程度に負けたアルティガルド王家に、もはや忠誠心はない。断るつもりでいたが、あの忌々しい暴行の真相を暴く好機だと考え直して受けた。
こうして易々とオーギュストの懐に入る事ができた。あとは証拠を見つけて、復讐を果たすだけである。
ルイーゼが決意を新たにした時、厳重な扉が開いた。
――来た!
忽ち、胸が早鐘を打ち、全身に鳥肌が立つ。咄嗟に、殺気を覚られぬように眼を伏せた。
「……」
不機嫌そうに口をゆがめて、オーギュストが入ってくる。
その背後に護衛のキーラとサンドラ、そして、ファルコナーが続く。この強面の登場に、マルティナとサラは喧嘩を止めて、一旦主人達の後ろへ下がっていく。
「お帰りなさいませ」
一斉に女性たちが頭をたれる。
「なんの騒ぎだ。外まで聞こえていたぞ」
「何方が今夜のお相手を務めるか、決めていたのです」
遠くからサラが言った。
「そんな、詰まらん」
オーギュストが吐き捨てるように言うと、今度はマルティナが口を開く。
「詰まらないとは遺憾な申しよう。主君のご帰還の夜を任されるのは、女にとって最大の名誉。男性が先陣を任されると同じ価値があります」
マルティナが鬼気迫る顔で言う。
「……」
オーギュストは焼けるような視線を、その身に無数に受けて、苦し紛れにまた髪を掻き毟った。
「そんな事は後で報せる。それよりも、浮遊塔へ上るぞ。全員準備しろ」
オーギュストは逃げるように歩き出したが、強烈な違和感に、足を止めた。
――マルティナが居るという事は……?
頭を素早く左右に振って、全員を確認する。そして、気配が壁と同化寸前の状態にあったマルガレータを発見する。
「どうした?」
「……」
「どうーしたの?」
「……」
「どおしたのかなぁ?」
後頭部に手を当てたまま、身を屈めて、マルガレータの顔を覗き込む。
「別に……」
まるで生気が感じられなかった。
「こ、これは!」
オーギュストは総毛立ち、震えんばかりに言った。
――気持ち悪いッ!!
思わず、口を押さえて、一歩後退りしてしまう。
「断トントンゲームを宣言されて以来、あのようなご様子で……」
透かさず、ファルコナーが耳打ちする。
「食事はちゃんとしているのか?」
オーギュストが問うと、マルガレータは無言で小さく首を振った。拙い、とオーギュストは慌てる。マルガレータが衰弱死すれば、外交問題に発展する。
「何か、欲しい物はあるか?」
「特にありません」
か細い声で答える。
オーギュストは困り果てた顔を、マルガレータへ向けた。目が「どうしょう……」と告げている。
その目に応じるように、マルティナがオーギュストに近寄る。そして、肩に顎を乗せて、耳元で甘くささやいた。
「大丈夫です」
「また始めさせた方がよいのでは?」
「いいえ、今宵、ご寵愛を授けて下さるのなら、また新しい道が開けましょう」
「そんなものか……」
オーギュストは、首を何度も振って、頭痛がしてきたと呟いた。
黄金の浮遊塔では、ユリアがエレナとフェリシアの2人の妹を従えて、オーギュストとその一向を待っていた。
「こんな所にいるとイライラするんだよ」
口から出したキャンディーの棒を上下させてすっぱに言う。
「ティルローズ様の真似はお止め下さい」
咄嗟に、刀根小次郎が背後からそっと耳打ちする。一連の動作に彼は満足していた。ようやく守役が板に付いてきたと思う。自称ではあるが。
「だってぇ、たいくつなんだもん」
「陛下のお疲れを癒す事ができるのはユリア様だけですよ」
「そりゃ、ユリピーは天才だし、美し過ぎるから、パパごときは、ハイパー天才スマイル一つでダウンだろうけど」
ユリアは、優雅に髪をかき上げた。何百回と鏡でチェックした自信のポーズである。決まったと思っていると、足元から不満の声が上がって来る。
「ユリねえ、足、疲れた……ぁ」
「まだなのぉ?」
そっくりの二人が、同じように蹲って、抗議の視線で、ユリアを見上げている。
「ユリねえ、天才なんでしょ。何とかしてよ」
「そうだそうだ。天才なら何とかしろ」
ちらりと妹たちへ、イラついた視線を向ける。
「うるさいわね。真の天才は、才能を無駄遣いしないの」
この答えに、同時に二人が激しくブーイングし始めた。
「この天才にむかって、無礼な。天才パンチ、天才キック」
「うぎゃ」
「あしべ」
ユリアは、幼い妹たちを、容赦なく蹴散らしていく。
「このハイパー天才美少女ユリピーさまの敵ではないわ!」
そこへ、ようやく廊下の先にオーギュストが見えてきた。
「ふん、このハイパー天才を待たせるなんて、十年早いわね」
ユリアは腕組みして、口を歪めて、じっと睨みつける。天上天下唯我独尊、という文字が背後に浮かんでいた。
「ん?」
その時、額に青い稲妻が走った。
「まっ、まさか……」
オーギュストの斜め後ろから、美のオーラが溢れ出ている。これほどの存在感を示せる人物を、ユリアは一人しか知らない。
「……しぃ、しまったぁ」
その姿を瞳に映すと、まるで空気が抜けたようにみるみるユリアが萎れていく。
「……この天才ともあろうものがぁ」
戦争が終わって、母親がセリアに来る可能性を考慮に入れていなかった自分の迂闊さを呪う。開いた唇を閉じことさえ忘れたように、愕然と立ち尽くす。
「ユリア」
母親は、よく通る澄んだ声で呼んだ。
「今、天才って言わなかった?」
「……べ、べ、べ、べ、別に……」
瞳を泳がせ、震える声で答える。
「はぁ? 別に?」
母親の声が、低く、押し寄せる津波のように迫る。
「はい、天才って言ってました」
エレナとフェリシアが元気よく手を上げて、軽やかに言いつける。
アフロディースは、目を吊り上げると、大股で進み、ユリアの口を摘んだ。
「うぎゃぁ……」
「あれほど、言っておいたでしょ。母を侮りな、と!」
「く、口が裂けるぅ……パパ、たすけてぇ……」
しかし、その唯一の頼りであるオーギュストはすでに卒倒していた。
「ゆ、ユリピーの…かわいいお口が……あああ……」
――ノイエ・ルミナリエ宮殿。
メルローズが前のめりになって、宮殿の奥へ歩を進めていた。しかし、その前に、端正で紳士的な容貌の侍従長が立ち塞がる。
「侍従ふぜいに用はありません」
迸る感情のままに、痛烈に言い放ったが、初老の侍従長は小揺るぎもしない。
「メルローズ様、ここは皇帝陛下のおわす宮殿です。何人であろうと、許可なく立ち入る事は許されません」
「お姉さまにお話があります。そこを退きなさい!」
メルローズの声は、ティルローズに負けない迫力があったが、侍従長は、権高に言い返す。
「ここから先は、如何なメルローズ様といえども、法を順守していただきます。皇帝陛下は唯一絶対、二度と姉上などとお呼びにならぬよう、厳に願います」
「……くぅ」
メルローズは思わず唇を噛んだ。皇族の一員として、皇帝の権威には逆らえない。
「分かりました……」
そして、感情を治めて、姿勢を正す。
「正式に謁見を申請します。ただし、今すぐにです」
「ほお、何かおねだりでも?」
嫌味な言いようにも、じっと耐える。
「上帝陛下のご凱旋に関して、早急な行幸をご進言申し上げる」
「行幸……」
侍従長の眉が露骨に曇る。
ノイエ・ルミナリエ宮殿では、オーギュストの上帝という存在を一切認めていない。ホーランド朝やアルティガルド朝も完全に無視されている。
「前例が――」
苦く渋い声が流れ出すと、さっと制した。
「ないことは承知しています。しかし、これがお二人にとって、現状で一番正しい判断です」
「一番とか正しいとか、軽々しい発言ですな」
侍従長は冷ややかな目をふっと外して、鼻白む。
「何か?」
メルローズはキッと威圧するように眼光を鋭くする。
「いえ、メルローズ様はまだお若い。物事の正しさを論じるには、もう少し時間を経ねばなりますまい」
「わたくしは、両陛下のことを、少なくとも貴方よりはよく存じ上げている」
再びメルローズが感情を露にすると、侍従長はいっそう頑な表情をする。
「皇帝陛下は、神聖不可侵」
「そんなこと分かっています」
言葉が矢継ぎ早に飛び交う。
「皇帝陛下こそ正です」
「見世物ではない」
「幾千幾万の人々が、長きに渡って、この場所を、帝国の権威を守ってきた。それは帝位の安定こそが、平和の象徴、豊かな生活、そして、幸せな未来への希望に他ならないからです。だからこそ、如何なる者にも、この権威を傷付けさせてはならない。不遜ながら、我々が、あらゆる外敵からお守り申し上げている」
「外敵……」
侍従長の貫禄と迫力に、不本意ながら、メルローズは心が折れるのを感じる。外敵という言葉が、オーギュストだけでなく、自分にも向けられている事を察して、心に暗い影を落とした。
「……分かりました。では、時間がかかっても仕方がありません。手続きを」
「一ヶ月ほどかかります」
「そんなに?」
「手続きとは時間がかかるものです」
メルローズは腰の横で固く拳を握り、唇を震わす。
――グランクロス宮殿
ノイエ・ルミナリエ宮殿を退くと、その足で、メルローズは、グランクロス宮殿に向かった。幾つかの城門を緊張しながら通る。
「これは、どうぞ」
門番たちは皆、最高の笑顔を送り、何の検索もなく門を開く。誰に止められることなく、本郭まで至った。
逆に、ホテルじゃないのだから、と警備体制に多少の不安を感じる。
本郭の玄関では、ファルコナーが出てきた。黄玉色の瞳は猫科の獣のように鋭く、頭髪は針金のような硬い、そして、肌はやや青白い。
「遠征の疲れが出たのでしょう」
「そうですか……」
オーギュストはベッドで眠っている、と言う。途方に暮れていると、庭先で一人、草取りしていた麦藁帽子の少女が、すっと立ち上がった。
「お見舞い?」
「え?」
日焼けしないように顔をタオルで覆っていたので一瞬誰だか分からないが、声でユリアだと気付く。
「どうしたの?」
「修行、より天才になるための」
「へーえ」
「見て、このショーテルのような鎌を。緻密な計算のもと、最も効率よく根を刈る角度を割り出したの」
「ほーぉ」
相変わらずだな、と微笑む。
「天才は常に進化していくの」
ユリアは麦藁帽子とタオルを投げ捨てると、メルローズの手を掴んだ。
「じゃ、行こう。お見舞いに」
「ええ」
メルローズは心の中で親指を立て、グッジョブと囁いた。
「いいんですか、怒られますよ」
歩き出した二人に、ファルコナーが呟く。
「天才は常に優先順位を大事にするの。そして今は、お客様が一番大事。反論は認めない。なぜなら天才だから」
ユリアが勝ち誇ったように、天才理論を一方的に告げて奥へと進む。
こうして、ユリアに案内されて、メルローズは北宮のオーギュストのいる場所にたどり着くことができた。
オーギュストは、芝生の中庭に建つ、白い温室用の小さな小屋の中にいた。四方から光が差し込む、清潔で温かい部屋で、白いリクライニングチェアーに横たわっていた。
「あれ、メルちゃん。どうしたの?」
オーギュストは、ゆっくりと上体を起こして、メルローズに優しく微笑んだ。
「パパ」
その背後からユリアが飛び出し、チェアーの上に飛び乗る。
「ユリピー、お見舞いに来てくれたのか?」
すでに感極まって、少し涙ぐんでいる。
「うん」
とユリアは可愛らしく頷いて、いきなり頬にキスした。
「こ、こ、こりゃ、メルちゃんが見ているだろ」
顔がにやけて、声も裏返ってしまう。
「まさに100万Czのキスですね」
と、メルローズが軽く言う。
「パパのキスは、1000万Czだけどね」
オーギュストは照れを隠すように冗談を言って、キスを返そうとしたが、ユリアは百戦錬磨の女性並にかわした。
「それじゃもう一回してあげるね」
「ま、まじっすか!」
途端に、身も心も蕩けてしまう。
「その代わり、瞬間魔力転送装置の仕組みを教えて」
耳元で甘く囁く。
「それはユリピーでもダメだよ……危険だからね」
オーギュストは、その一線だけは何とか踏みとどまり、柔らかな口調で断る。
ユリアは不満そうに口を尖らせて、冷めた瞳でじっとオーギュストを見詰める。これにオーギュストは身を裂かれるような痛みを全身に感じた。
「本当に危ないからね……」
焦った声で重ねて断る。
――ふふ、勝った!
ユリアは、父親の心が挫けていると確証すると、にっこりと口元だけで笑った。
「お願いきいてくれたら、もっと凄いことしてあげるよ」
再び耳元で甘く囁いた。その天才頭脳の中では、すでにオーギュスト攻略への道筋が出来上がっている。
「両方の頬にキスをして、100万+100万で200万Cz。いつもの二倍の長さで、200万×2の400万Cz。そして、いつもの3倍の強さで押せば、400万×3の、パパを上回る1200万Czだッ!」
超天才ユリアが、超計算で、オーギュストを越えていく。
「あははは」
メルローズは爽やかに笑った。
ユリアは不本意そうに仏頂面を向けたが、次の瞬間、額に稲妻が走った。弾かれたようにチェアーから降りると、背筋をピーンと伸ばした。
「メルローズ様をお連れ致しました。では、わたくしはこれで」
打って変わって、丁寧に言う。
その時、ガラスの扉が開いて、アフロディースが入ってきた。
「ユリア、罰の草取りは?」
「えーと、メルローズ様の案内が……ぎゃぁ」
「そんな言い訳が通用するわけないでしょ!」
アフロディースの動きは素早い。ユリアの両頬を抓って左右に引っ張った。
「か、顔はやめて、私、美少女よ……」
「おバカ!」
柳眉を逆立てて、力をさらに増す。
「綺麗は、内面からにじみ出るもの。お前の何処に美があるの!」
「うぎぃぃぃーーい」
悲鳴を上げるユリアを見て、メルローズは呆然とした。
――ま、全く遠慮がない……。
この時、メルローズはユリアが過保護にされていたのではないかと初めて疑問に思うようになった。
「……うゅ」
その頃、誰も気がついていなかったが、ベッドの上では、オーギュストが10秒ほど心停止状態になっていた。
その後、アフロディースは、ユリアの耳を引っ張って、「お騒がせした」と出て行く。
「折角、来て貰ったのに、騒がしかったね……」
と、自力で息を吹き返したオーギュストが、平静を装って言う。
「いえ、面白かった」
メルローズは屈託のない笑顔で答えた。
この人間的温かさが、ノイエ・ルミナリエ宮殿にはなかった。重臣たちは、皇帝を守ると言いながら、ティルローズを人形のようにしか考えていない。思えば、父カール5世も、現実と宮廷の理想とで苦しんでいた。
「姉を訪ねて頂けませんか?」
一度深呼吸してから、ノイエ・ルミナリエ宮殿を訪問するように進言した。だが、オーギュストは首を横に振る。
「俺のところの兵士は、この現状を自分たちの力で勝ち取ったと思っている。今更、サリス皇帝の権威に媚び諂っても、得るものは軽蔑と失望だろう」
「……でも――」
それではますます両陣営の溝は深まっていく。それに、サリス皇族出身として、兵士たちのその思いは寂しい……。
「古きものがすべて悪しきものではないはずです」
サリス皇帝にも、この時代において果たすべき役割がある、と信じている。
「無論そうだが、今は正論よりも人の思いが重要だ。現実として、俺が萎えたという噂が広まれば、士気は尻すぼみになる。今はカリハバールのドラゴン、アルティガルドの反発、セレーネ半島の不安定など気を抜けない状況にあるのだ」
「人の心は虚ろなのですね……」
思えば、かつて繁栄を窮めたサリス帝国も、傾き出せば、崩壊は早かった。メルローズは小さくため息を吐いた。
「そう。だから、労をねぎらうのが肝心なのに、君の姉さんときたら……」
「お姉さま……」
「このままでは早晩行き詰まるだろう」
オーギュストの言葉がぐさりと胸に突き刺さる。ティルローズの悲願であった祖国復興を果たしたというのに、その未来への儚さに、メルローズは軽く眩暈を感じた。
「メルちゃんは、優しいね」
オーギュストが手を伸ばす。メルローズは自ら一歩近付いて、その手を掴んだ。
「そんなことないわ……。ただ無力なだけです……」
「大丈夫さ。ティルもマリーも、今はそう悪い訳じゃない。最悪を脱している」
「……」
オーギュストの励ましの声にも、素直に微笑む事ができない。
「ほら、笑って」
オーギュストは言うと、ふいに眼を閉じて、背凭れに体を預けていく。
「きついのですか?」
メルローズの顔にさっと不安の影が差す。
「うん、薬飲んで、この装置の中で静かにしていれば、問題はないだろう」
「そう」
力なく、視線を落とした。自分の非力さが恨めしかった。
「せめてマリーお姉さまがいらっしゃったら……。こんな大切な時に学校だなんて……」
この時、ローズマリーはオルレランで、新しい学校建設に尽力していた。
「彼女はあれでいいんだよ」
「でも」
「俺の……。いや、俺たちの業を減らしているのさ。次に(あの子達と)再会するためにね」
「次?」
「彼女は信じているのさ。もう一度(人生を)やり直せると。そのために必死に自分を成長させている。また同じ失敗を繰り返さないために……」
言うと、オーギュストは強く奥歯を噛み締めて、溢れ出ようとする感情を押し殺した。
メルローズは、何度も二人が互いを『同士』だと言い合う事を思い出して、その絆の深さと傷の大きさを改めて実感した。
「ティルは頑固だから、どうせ誰が何と言おうと聞きやしない。好きなだけ頑張らせるしかない。そのうち飽きるさ」
「はい」
メルローズはチェアーの足元に跪き、オーギュストの手に頬をあてた。
この人の心の中に入ることはできないだろう。この人が抱えているものは余りに大きく、私では癒して差し上げる事はできない、とメルローズは思う。ならばこそ、せめて一緒に死んで差し上げよう。それくらいならばできるかもしれない。
「冷たいだろ?」
オーギュストが言うと、メルローズは首を振る。
雨が降る朝も、風が吹く夜も、ずっとこの手を温めて上げたかった。
――上帝府。
その頃、定例会議で、問題が持ち上がっていた。
「どういうことか?」
「……分かりません」
官吏たちが右往左往している。
サッザ城の戦いに関する報告書をもってヨハン・ファンダイクと担当官吏がオーギュストを訪ねると、アポロニアとヤンの二人が受け付けた。
「フリオ様の報告書によれば、同じ日に同一人物が離れた戦場で手柄を上げている。彼も彼も彼も、だ」
論功行賞用の書類をさっと流し読みしていたアポロニアの瞳が、数名の名前の重複を捕らえた。
「……書き間違いかもしれません。再度確認してみましょう」
ファンダイクが怪訝そうな目で書類を覗き込むと、軽い口調で呟く。
「死者の合計数が、防衛戦にしては多過ぎませんか……?」
アポロニアの隣で死者リストに目を通していたヤンが、小さな声で問いかける。
「毎週ほぼ同数死んでいるね。明らかに不自然だ」
横から書類を見て、アポロニアが同調した。
「……これは偶然でしょう?」
ファンダイクも確認するが、疑問を呈する二人とは違って、報告書の正当性を信じて疑わない。
「この週とこの週は、戦いはありませんでしたが、戦いがあった週とほぼ同数です」
ヤンが指で数字を追う。
「おそらく数を分散させている」
アポロニアが断定的に言った。
「そんな事はありえない。軍監がチェックしている……」
ファンダイクが血相を変えて、書類を見比べる。だが逆に、死者の中に見知った名前を見つけた。
「彼はさっきの手柄を上げていた奴だ。もう死んでいるのか……」
「一人や二人ではない」
アポロニアが失笑する。
「戦役初期、フリオ殿の最初の任務は軍監だったはず。抜け道も熟知しておられるのではないのか?」
「陛下のご裁断を仰がねば……」
澄ました表情で調査結果を告げ続けるアポロニアと対照的に、ファンダイクは嫌な汗を顔いっぱいに浮かび上がらせた。
――北宮。
マルガレータは、魂の半分を何処から遠くへ置き忘れているように、言われるままに寝室へ連れて来られていた。
前室で、オーギュストは、深くソファーに座り、軽く酒を飲んでいる。まだ背後のベッドルームへの扉は固く閉ざされている。
銘柄は女性の出身地に拘る。この夜は、シュタインヘーガーという蒸留酒を、アルテブルグから取り寄せていた。
空のグラスを差し出して、注ぐように要求したが、マルガレータは気付きもしない。視線を何処か遠い彼方へ飛ばして、幻でも追いかけているようだった。
「まあ飲め」
景気付けにと、少し酒を注いで渡したら、何の躊躇もなく、無言で飲み干して、「ぶはーぁ」とアルコール色の息を吹いた。
「お、いけるじゃないか」
オーギュストは、調子に乗って酒を飲ませてしまった。マルガレータは、すっかり酔ってしまって、マタタビを与えられた猫のように、床に転がってにやけている。
「俺も大魔王とか独裁者とか言われるが、鬼じゃないから」
苦笑すると、手を頭上で組んで背伸びしながら告げる。
「まあ元気になるまで待とうや」
両腕を下ろすと、首を交互に左右に傾ける。
「はい」
部屋の入り口付近に控えていたキーラが頷いた。
「マルガレータ様、こちらへ」
手招きしたが、マルガレータは、すでに意識を失っていた。
「誰か呼んで来いよ」
オーギュストは肩の筋を伸ばしなら呟いて、ソファーに凭れた。天井に、壁のランプが作り出した観葉植物の影が揺らいでいる。見ようによっては、魔女が子どもを襲っているようにも見えた。
肉体的な疲労感が大きく、全身が不快に気だるい。しかし、それと反比例するように、性的な欲求は異様に高まっていた。パンツの中で、勝手に欲望が膨らみ、石のように硬くなっている。体の不調を、脳は死の予兆と判断しているのだろう。生物の生存本能が、活性化しているのだ。
だが、あのメルローズの温もりが、オーギュストの穢れた魂を縛る。あの温もりを全身の肌で感じてみたい。だが、その先が見えない。何処にも出口はない。どんなに遠くへ思いを馳せさせようとも、彼女に決して幸福な未来は訪れない。魂は、薄暗い混沌の中で迷走を続ける。
寝室の扉が開いた。マルガレータを迎えに、マルティナが入ってくる。異例ではあるが、マルティナには、控え室まで入る特権が与えられていた。それは勿論サラも同様である。
「うん? どうした」
しばらくして、気がつけば、まだマルガレータは部屋にいた。ぼんやりしていたせいで、会話を聞き漏らしていた。
「姫が帰らないと……」
「はい?」
眉を顰めて聞き返す。
「夜伽は責務だから、帰らないと……」
マルティナも困った顔をしている。
「でも、俺とやるのは嫌なんだ」
こくりとマルガレータが機械仕掛けのように頷く。オーギュストが苦笑いするしかない。
「じゃ、仕方がないな」
卑猥に顔を輝かせて、強引にマルティナの手を引いた。
「身代わりにこいつを抱こう」
「え?」
マルガレータにすれば、唐突な進展である。ようやく鋭い意識の発動をオーギュストへ向ける。
「どうぞ、ご勝手に……」
しかし、困った女を演じてしまった以上、彼女にはそれを受け流す以外に選択肢はない。無関心を装いながら、グラスを両手で抱いて、真赤な顔へ運んでいく。
――拙い……。
マルガレータは内心焦る。拗ねていれば、オーギュストは諦めて、適当に譲歩してくるだろうと思っていたが、まさかマルティナを手篭めにすると言い出すとは、想定の範囲外である。どうすればいいのか、目ばかりがぐるぐると回る。頭も回る。星も回る。この私を喜ばせるためだけに、身を粉にしてぐるぐると回る……。
オーギュストは、マルティナの身体に抱き寄せる。
「ギュス様、ふ、服が乱れます……」
マルティナの抗議など耳を貸す気もなく、乱暴な振舞いで、マルティナを壁に押し付ける。
「お止め下さい……」
マルティナは必死に抵抗する。
だが、オーギュストはがっちりと両手首を掴んで、身体を寄せていく。
「ううン……ダメ」
そして、強引にキスをする。その際に、手首を離して、優しく抱くように肩に手をやった。
マルティナは多少自由になった腕を振り回して、オーギュストの手を払うと、両手で胸を衝く。
オーギュストの体が僅かに浮いて、少しだけ2人の間に隙間が生じた。が、マルティナの腕を素早く下から手繰って、動きを止めると、さらに、小脇に抱え込むように捕らえて、動きを封じた。
「あう、うううん」
再びオーギュストがキスを迫る。
マルティナは腰を突き出して、頭を仰け反らせて、避けようとする。
「ご勘弁を……」
「黙れ!」
もう一度押すマルティナだったが、オーギュストはマルティナの腰の裏へ腕を回し込んで、ベルトを掴んだ。マルティナの反撃で、一旦は後ろに振れたが、ベルトを引き付けて逆に強く押し込む。激しくマルティナの背中が壁に当たる。三度、オーギュストはキスを強行し、脚の間に腰を割り込ませていく。
タイトなミニスカートが捲り上がると、下着は、きわどい極小で、割れ目を細い紐が一本通っているだけである。
「ふふ」
オーギュストが好色に笑う。
マルティナは、言葉や態度と裏腹に、膝まで滴が垂れて、もうすでに、股間は大洪水となっている。
「ああ……」
見られたことがショックだったのだろう。急にマルティナの抵抗が消えた。その隙を逃さず、唇を完全に奪う。
唇と唇がかみ合い、舌が深く差し込まれる。これまで激しく動き合っていたので呼吸は荒く、唾液が多めに分泌していたから、互いの顎へ混じり合った汁が滲み出てしまう。
「あ、あ…アン……」
これがマルティナのギアを変えた。顔が艶やかなに火照り、指が固い胸から腹部をそっとなぞり、さらに、脚が腰に絡みついていく。まさに牝が発情した瞬間と言えよう。
オーギュストはマ、後ろを向かせると、魅惑的な尻を突き出させる。
「邪魔だ」
そして、紐を毟り取ると、がっちりと腰を掴んで、潮に塗れた卑猥なアワビに狙いを定めた。
「う、うぅん」
膣肉が、その瞬間を待ち構えるように、ぐねりと蠢くように収縮を繰り返す。
「ッ、あゃ…ん」
壁を掻くように爪を立てた。ぽっかりと開いて、薄桃色の生々しい肉を覗かせる下の口に、巨槍が突き刺さっていく。
「ん、ぅぅぅおおぉぅ!!」
赤い舌を上の口からはみ出されて、マルティは頭を仰け反らせて、オーギュストの肩に後頭部を乗せた。そして、獣のような咆哮を天へ上げた。
「いい締め付けだ」
「……ああん」
オーギュストはマルティナの膣の感触を堪能しながら、ゆっくりとマルティナの髪をすくった。そして、熱烈なキスをまたする。
それは異物の侵入に対する単純な驚きであったろうし、欠けたピースが満たさせて、永遠の孤独からの脱却を予感する心のざわめきだったろう。
マルティナは思う。この瞬間だけは、自分は一人ではない。この残酷で冷酷な世界に、唯一信頼できる息吹であり、無垢な心で寄り添える力強い温もりなのだ。
「く、う、……ぅぅんぅ」
ぎしぎしと巨槍が動き出す。
がたがたと太腿が震え、背中が荒い海のように烈しく波打つ。必死に歯を食い縛って、魂が口から零れるのを防いだ。
「っあ!!」
子宮の入り口が叩かれると、稲妻のような衝撃が身体を打ち抜く。顔を壁に押し付けて、目尻が裂けんばかりに瞳を見開き、稲妻で焼けた細胞を吐き出すように、声を爆ぜさせた。
「あ、ぁぁ……くぅ、おぉぉぉぉぉぉ!」
巨槍が引き抜かれるのに合わせて、息を吸う。そして、繰り返させる侵入に合わせて、再び息を爆ぜさせる。
瞬く間にイキ、すぐにまたイク。繰り返させる絶頂は、際限なく高まり、マルティナは遥か彼方の虚空を垣間見た。
――そんな目で見ないで下さい。マルガレータ様……。
犯される姿、いや、犯され絶頂した姿を見られて、言いようのない感情が芽生えていた。
――ああ、見られたのね……
獣のように喘ぐ私。
肉の絡み合う音を鳴らす穴。
撒き散らかされた牝の匂い。
何もかもを曝け出し、何もかもを知られてしまった。
――どうしてなの? 恥ずかしいはずなのに、たまらない……。
ぞくぞくッとした感情がせり上がって来て、頭を麻痺させていく。記憶が軽く飛んだ。思考は真っ白に染まって何も考えられない。
白い霞が薄らいで、次第に意識が戻ってくる。初めに聞こえてきたのが、烈しい呼吸音だった。まるで犬のようである。次に、床が目の前にある。髪が海のように広がっていた。そして、ようやく生温かな感触が股間にあることに気付いた。すぐに、失禁していると分かったが、恥ずべき行為のはずなのに、胸に言い知れぬ開放感が広がっていた。
――もっともっと見て、私のすべてを見て下さい……。
マルティナの理性が壊れていく。
――な、なに? なにが起きているの?
マルガレータは、唖然と2人の痴態を見守っていた。
日頃、凛々しく颯爽としたマルティナ。
深々と呑み込んでいる秘所。
全身から迸る汗。
そして、それを見ている私……。
他人のこんな姿を見るなんて普通ではない。到底現実とは思えない。
しかし、それを、固唾を呑んで見ている。食い入るように見ている。一瞬たりとも目を離せない。
何故?
心に問いかける。
好奇心?
そんな簡単なことではない。
――ああ、私は羨ましいのだ……。
男の肌は暖かいのだろうか?
ペニスは固いのだろうか?
あんなに烈しく打ち付けられたら、女の身体はどう反応するのだろうか?
次から次に、疑問がわいてくる。
触れられたい……。
代わりたい……。
経験したい……。
そして、どんどん欲求が膨らんでいく。
「ああ……ン」
哀切な声が可憐な唇の間からもれた。指が勝手に下半身へと動く。薄い生地の上から秘唇にそっと触れてみると、じわじわと生温かな感触が伝わってくる。
「あん……んんっ」
無意識に指が動いている。忽ち、脳が陶酔して、悦びの吐息を吐く。
それからも、マルガレータの代わりにマルティナが抱かれ、マルガレータはそれを密かに自慰しながら眺めた。
【10月中旬】
「大事にならぬよう、配慮せよ」
「畏まりました」
オーギュストの一言により、ファルコナーが、フリオの身辺調査を始めた。情報部や司法部を使わなかったのは、ことが公になることを防ぐためである。
フェルコナーは、先に帰国していたフリオの部下に問い質す。と、拍子抜けするほど簡単に虚偽が明るみになった。
兵糧の搬入路を巡って、何度も激しい戦いが起こったが、結局、糧道を遮断することができなかった。だが、包囲網は完成しているとセリアに偽の報告を行い、局地的な敗戦がばれぬよう戦死者数を誤魔化し、勝利をでっち上げた。
しかし、素人のファルコナーの調査は、すぐに戦場のフリオの知るところとなる。
フリオは急遽、セリアに帰還すると、朝一番にグランクロス宮殿へ赴いた。直接、オーギュストへ弁解しようとしている。しかし、南宮の獅子の間で待機していたところへ、ファルコナーが現われた。
「この君側の奸め。上帝陛下の周りをこそこそ動き回るな!」
通常の出勤だったのだが、その姿を目にするや、フリオは凄い剣幕でまくし立てる。そして、謁見を一方的にキャンセルして立ち去った。
――ま、まずいぞ……。
焦る気持ちを抑えつつ、宰相府の姉ミカエラの元へ走った。
「これは讒言だ」
「……」
必死に弁明する弟の瞳を、ミカエラはブルーアイスの瞳をより冷え冷えとさせ、無言で見詰める。
「ファルコナーの奴が、我がスピノザ侯爵家の力を削ごうと暗躍しているのです。これは上帝陛下に対する立派な反逆罪です」
フリオは血走った眼を剥いて、刺激的な言葉を紡ぐ。
「そうかもしれませんね……」
ミカエラは眉間を曇らせて、前半部分について同意的な反応を示した。だが、後半部分については、はっきりと否定する。
「確かに、あの男をよく思う者はいない。しかし同時に、あの男に私心がないことも、誰もが知っている。上帝陛下の御心にそむく事は決してしない」
その声が鼓膜を刺激し終えると、積もりに積もった苛立ちが、怒りの念に変わった。額に青筋を張らせ、目に角を立てる。
「現に、あの男が、私と上帝陛下の間を邪魔しているでしょう。上帝陛下ともあろうお方が、どうしてあのような下賤を重用なさるのか……」
「口を慎みなさい」
即座に叱咤の声が飛ぶ。フリオも言い過ぎたと思ったのか、僅かに視線をずらして、小さく舌打ちした。しかし、今更興奮の矛を収めるわけにはいかない。
「姉上、姉上のお力で、上帝陛下と面談できるように図ってください」
強い口調で迫る。
「フリオ、迂闊に動いてはなりません。ここは冷静に対処しましょう」
まずは敵の姿を見定めて、その狙いを読み取る事が重要であろう、とミカエラは考えていた。確かに、ミカエラには敵が多い。クリスティー、カレン、挙げたら切りがない。しかし、今度の件では、彼女たちが積極的に絡んでいる形跡はまだ見られない。
「まず事実関係を明らかにしましょう」
この事実という響きは、今のフリオにはどんな剣よりも鋭い。
「事実? 事実とは何です? 姉上は、私を疑うのですか?」
「疑うなどと……」
フリオの気迫に押されて、ミカエラは言葉を濁した。
「私は名門スピノザ家の当主ですよ。名誉を傷付けられて、生きることはできない。いっそ死ねと言えばいい」
フリオは何度も左胸を指し、まるで脅迫するように言った。
「……そんなことある訳ないでしょ!」
ミカエラが困ったように眉を寄せた。
「これ以上、ファルコナー如き下賎の者に、蔑ろにされるのは、我慢ならん。死んで、上帝陛下に抗議してやる」
「落ち着きなさい」
狼狽して、慌てて立ち上がる。
「貴方が死ねば、名門スピノザ家はどうなるのです」
その姉の動揺を見透かしたように、フリオはさらに吐き捨てる。
「私が言いたいのは、これ以上、姉上のとばっちりで、迷惑するのはゴメンだと言う事です」
鼻息荒く述べると、机を乱暴に叩いた。
「……」
ミカエラは反論の言葉もなく、静かに顔を伏せる。やはり自分の敵が、フリオを背中から刺そうとしているのだろうか、と申し訳なく思う。
「分かりました……。明日にでも、上帝陛下に申し出ましょう……」
「それでは遅い!」
顔を紅潮させて噛み付くように怒鳴る。
「フリオ、私にも準備は必要なのです」
「……もういい!」
捨て台詞を残して、ぷいと部屋を出て行った。
――こうなったら……。
この後、フリオはリューフの屋敷を訪ねた。
リューフは昼食中だったが、気さくにコーヒーをすすめた。しかし、フリオのあまりの取り乱しように、持ち込まれた用件が、尋常でないことを洞察する。
「助けて下さい」
率直な言葉で、自分に対して不当な尋問が行われようとしている、と必死に伝える。
「事情は分かった」
リューフはテーブルの端を指で叩きながら、冷静な声を発する。
「一ついいか?」
「はい」
フリオは緊張で息を呑む。
「俺に嘘を言った事はあるのか?」
フリオを見詰める瞳には、穏やかだが、決して揺るぐことのない精神を感じ取ることができる。
「も、勿論です。ありません……」
答えながら首元を緩めた。全身からどっと汗が吹き出て、服の中が熱く蒸れている。
「今回の件は、秘書が戦果の乏しい事を嘆いて、多少粉飾しただけです。戦場をご覧頂ければ分かって頂けるはずです。それをファルコナーが、大袈裟に騒ぎ立てているのです。おそらく、サリス派かサイア派かの後ろ盾があり、姉に対する嫌がらせのつもりなのでしょう」
熱のこもった弁を振るう。言いながら、自分に酔っていくのが分かる。
「分かった」
リューフは武人らしく力強く頷く。
「俺は所詮戦場の男だ。政治向きはよく分からん。だから、直接、ギュスに会えるよう手配してやろう」
「あ、ありがとうございます」
フリオは深々と頭を下げた。
リューフはコーヒーを飲み干し、口を拭うと、老執事に魔術通信機を持って来させた。そして、一本の通信を入れて、「俺」「そう」「頼む」と言うような短いやり取りをして「じゃ」と切る。これで、会話が成り立っているのか、フリオは少し不安になったが、リューフは容易い口調で告げる。
「今からギュスが会うそうだ」
この約一時間後、フリオは、リューフに連れられて、北宮の第一書院へ向かった。途中誰も二人を止めようとしない。そして、扉の前でリューフは、「後はお前次第だ」とフリオの背中を軽く叩いて、一人で帰ってしまう。
フリオは、最後まで面倒見ろよ、と内心不満に思いながらも、気持ちを切り替えて、一度深く深呼吸した。
「失礼致します」
入ると、オーギュストの隣にファルコナーはいなかった。思わず、安堵の息を吐いている。
「侯爵、戦況はどうか?」
黒張りの椅子の上から、オーギュストが穏やかに問う。
「優位に運んでおりますが、勝ち切るには、なお時間と工夫が必要です」
「結構」
オーギュストは満足したように頷く。
「二三、ちょっとした問題が取り沙汰されている。お前もその件で来たのだろ?」
「はい……」
フリオはこれから始まる険しい戦いを思い、大きく息を吸った。脳細胞の隅々まで酸素を行き渡らせて、最高レベルの弁護士とならねばならない。
その時、付随する控え室から、アポロニアがファイルを小脇に抱えて現われた。
「あ、あなたは……」
一目見て、視線が釘付けとなる。愛憎が胸の内で渦巻く。何故ここに居るのか、などとは考えず、ただその美しい顔に重なる思い出を眺めて、ひとり胸を締め付ける痛みに耐えていた。
アポロニアはほんの一瞬フリオを一瞥すると、オーギュストの傍らまで近付き、そっとファイルを机の上へ差し出す。
忽ち、フリオの腹に熱い鉛が落ちていく。性悪女に現を抜かしている場合ではない。
「お、お待ちを!」
先制して口を開いた。
「うむ?」
ファイルの上で、オーギュストの手が止まる。
「確かに、数字に間違いはありました……」
あっさりと認めて、そこから長い説明が始まった。
「秘書を信頼してしまった迂闊に対する批判は、甘んじて受けます。私の不徳の致すところです。必要であれば、何度でも何処ででも、謝罪と説明を行う用意もあります。願わくは、今後もサッザ城攻略の任に邁進したいと思っております」
オーギュストは、フリオの必死の懇願を聞くと、ファイルを開かず、押し出し、机の上を滑らせて遠ざけた。それから、背凭れに身を預けて、両手を顔の前で組んだ。
「俺はお前を弟のように思っている。だから、ここに俺しか居ない。分かるか?」
「……はい」
フリオは曖昧に頷く。
「お前が本当に困っているのなら、俺は如何なる力も貸すつもりでいる。それも分かるな」
「はい」
「結構。今後の事は今夜ミカを含めて考えよう」
「……」
フリオの両肩が落ちる。しばし、呆然と足元を眺めた後、ぼそぼそと呟き始めた
「……ですか?」
「うん?」
「彼女が密告したのですか?」
「そうよ。陛下に忠誠を誓った以上、私は陛下の目となり耳となる」
まるで金属のような鈍い光を瞳に湛えて、アポロニアは平然と言う。
フリオは顔を伏せたまま、強く唇を噛んだ。
「一人の功名心が組織を瓦解させるのを、私は何度も見てきた」
さらに、傷に塩を塗るように、アポロニアが言う。
「黙れ!」
いきなりオーギュストが叫び、そして、手元にあったペンを投げつけた。ペンはアポロニアの白いシルクのドレスよりも遥かに白い腕を直撃する。
思わず、フリオは声を上げようとして、あやうく自制した。
アポロニアは、怯えた子犬のようにぴくりと身体を震わせ、赤くなったあとを手で押さえる。そして、無言のまま、潤んだ瞳で小さな微笑を作った。悲しげで眼差しには、愛と嘆きの影が宿っている。
――ああ、彼女も打たれるのだ……。
フリオは気が遠くなって呆然と立ち尽くした。そのぼんやりとした思考の中で、おそらく生涯、あの彼女の眼差しと微笑を忘れる事はないだろうと確信した。
その夜、オーギュストはミカエラの御殿にいた。しかし、そこにフリオは現われない。開くことのない扉を見詰めながら、オーギュストは静かに瞳を閉じて深く息を吐く。
「俺の人選ミスだった……」
「……」
ミカエラも憂いた表情でため息を落とす。
「軍監の仕事を覚えさせて、一日も早く、戦争の仕組みを理解させてやろうと思ったのだが、逆に誤魔化しの手口に精通させてしまったか……」
「……申し訳ございません」
「う、うん」
心ここにあらず、というようにオーギュストは頷く。
その夜、フリオは『アペリオテス新市街』の酒場にいた。古い倉庫を改築したバーで、天井に大きな梁が何本も雄大に横たわっている。店内は狭く、薄暗い。大きな一枚板のカウンターに、2人掛けのテーブルが三つ並び、奥に一段高くなった小さなステージがあり、古いドラムが置かれている。
「犬はいいぞう、犬は」
狭いテーブルの向こうで、マックスがマティーニで悪酔いしている。
「嘘はつかないし、裏切らないし、一途だし。かわいいよ。ホント」
「……」
フリオは仏頂面で、カクテルグラスを傾けた。ほろ苦い口当たりのあとに、胸が焼けるように熱くなる。
「もっといい所なかったんですか?」
「いい女が居る所か?」
真赤な顔を顰めて、大きく手を振る。
「女の尻を追っかけている間は、まだ青い。こういう必要最低限の広さと照明の店で、酒は一人で飲むものだ」
「二人でしょう」
フリオが口を尖らせて抗議するが、言うほど本気ではない。兎に角、酒が飲めればよかった。この胸を締め付けるような不快感を、一刻も早く、酒で洗い流したかった。
「少し嫌な事があったのだけど、不思議と泣けないんですよね……」
「そりゃ、お前が、人生は得る物の方が多いと思っているからだ。そのうち、失くす事ばかりと気付くと、自然に涙が零れてくるさ」
「語りますね」
「まあ機嫌を直せ」
「最初から悪くなんてありませんよ。ただ虚しいだけです」
マックスは、空になったグラスを揺らして、バーテンダーにお代わりを求める。
「俺も若いうちは、世界には面白い事がそこらに転がっていると思っていたさ。が、要するに、要領のいい奴が面白そうにしているだけよ」
「……」
フリオは口を噤んだ。頭の中では自分は違うと言いたいのだが、重く暗い気分がそれを言葉に変換しない。
「まずは自分には何もできない、という事を認識することだ。そこから一歩目が始まる」
マックスの言葉は、ふわふわとテーブルの上に広がるアルコールの宙を泳いでいる。そこへフリオの耳の穴から、「自分にしかできないこと」「自分に与えられた使命」などと美しい文句が流れ出てぷかぷかと浮かんだ。
アルバイトの学生が、ゴミを裏口へ運び出すと、そこへ、女性二人組みが駆け寄ってきた。
「ねえ、あれは誰だ?」
「スピノザ侯爵だそうだ」
背の高い方が問うと、アルバイトが答える。
この三人は同級生で、同じ人形劇サークルに属している。たまたま店の常連がマックスだと気付いたアルバイト学生が、自慢げに語り、このコンビが軽いノリで見物に来た。
「嘘!」
背の低い方が、慌てて声を抑えた。
「どうするの? 超大物よ」
「決まっているだろ。これはチャンスだ!」
背の高い方が興奮した口調で言った。
「奥さんを恨んでいるのですか?」
「恨む……言葉にすると安っぽいね。しかし、男と女の恨みという奴は、不思議なもので、時間が経つと綺麗に消えていく。跡には綺麗な花だけが残る。この花だけで、肝臓三つ分は酒が飲めるぞ」
そう言って、また一気にグラスを空にする。
悪妻は男を哲学者にする、とフリオは前に聞いた事があったが、案外当たっているのかもしれないと思って、苦笑する。
「でも、人は幸せになるべき生き物でしょう」
「そりゃ、帰る場所がある人間の事だ。俺たちにはもうない。流浪するだけだ……」
「たちって……」
酔っ払い2人が熱く人生を語っていると、静かに二つの影が忍び寄る。
「あの〜ぉ」
2人組みの女性が、声を掛けてきた。
一人は、小柄の丸い顔で、目鼻立ちは綺麗に整い、肌は抜けるように白かった。黙っていると、もの静かな印象を受けるが、一旦笑い出すとまるで太陽のように明るい表情を作り出す。長い睫毛に縁取られた二重のぱっちりした瞳の奥には、常に好奇心で輝いているようだった。
もう一人は、すらりと上背があり、小麦色に焼けた肌とスポーツで鍛えた健康的な肢体をしている。やや壁を感じ、声を掛けがたいクールな雰囲気を持つ。切れ長の細い目はつねに警戒感を発しているようだった。
「ダーツやるんですけど……」
慎重な声が口火を切り、
「一緒にやりませんか?」
そして、明るい声が誘う。
「もうしわけな――」
フリオが回らない舌で、たどたどしく断ろうとすると、マックスが「いいぞ」と勝手に受けてしまう。そして、脱兎よりも早く立ち上がった。
「言ってる事と全然違うでしょ!」
フリオは、歩き出そうとするマックスの裾を引っ張って、テーブルの上で顔と顔を突き合わせた。
「ありゃまだ子どもだ。女じゃない」
「どうして?」
あまりの理不尽さに、訝しそうに眉を顰める。
「女は一番美しいのは、セックスを覚えたての頃だ。その後は見事に身心とも劣化するけどね……はぁ」
一旦、深い井戸の底まで届きそうなため息を吹き落とす。しかし、素早く立ち直ると、然も女性に詳しそうに言い切る。
「あいつらは、まだその美しさを手に入れていない」
そして、ひひひ、と迷わず小柄な方の腰に手を回して歩き出した。
「ちょっと止めて下さい」
そのアルコール臭さに、フリオは顔を歪めた。
「貴方も」
「あ、はぁ……」
そこへ背の高い方にぎこちなく誘われて、フリオも流されるまま後に続いた。この女の子は、気を紛らわすためか、フリオに話し掛けられないためか、流行歌を鼻歌し始めた。
「その歌、好きなの?」
「別に。みんなが歌っているから……」
彼女は素っ気なく答える。
しかし、フリオの胸には、深く響くものがあった。
――ナーディアの歌だ……。
「帰るべき場所か……」
先程のマックスの言葉が、不思議と耳に残っていた。そして、目の前の女性の顔に、ふと幼馴染のナーディアの顔が重なった。
「……そうだ!」
宙をぼんやりと見詰めていた目に、急に光が宿る。
「俺、帰ります」
返事を聞くことなく、一方的に告げて、フリオは走り出していた。
運河まで走り、舟を拾うと湖に出て、北へ向かわせた。『カイキアス新市街』の船着場で降りると、目の前に一際大きな館があった。ブーン邸である。
『オルレランの惨劇』などセレーネ半島の動乱で、ブーン財閥も幾つかの事業を手放しているが、新政権との取引で、回復の兆しを見せ始めていた。
ちなみに、手放した事業を買い取ったのは、ミカエラである。ミカエラはかなり以前から乗っ取りを画策していたらしいが、ブーン家の巻き返しにあって、目的の完遂には至らなかった。
フリオが訪ねると、ナーディアはピンクのガウン姿で階段を下りてきて、驚きの表情を見せた。
「お久しぶり」
「うん」
ナーディアは昔と変わらない笑顔でささやくと、応接室へとフリオを案内した。
「どうしたの、突然」
「うん、舞台の成功のお祝いをまだ言ってなかったから」
「そうか。戦場だったものね」
「ああ」
「はい」
サイドボードからボトルとグラスを取り出して、注ぐと、一方をフリオに手渡し、もう一つを片手に持ち、ソファーに脚を上げて座る。
「ああ」
フリオは色っぽいナーディアの仕草に、目のやり場に困って、壁の絵などを見渡した。そして、暖炉の上にかかった大きな肖像画に目が留まる。それは斬新な構図と繊細なタッチで、ナーディアの内なる魅力を余すことなく描き上げていた。
「これは……」
ナーディアは気まずそうな顔をして、酒を口に含んだ。
同じ筆のものをかつて見た事があった。オーギュストが描いた姉の肖像画である。
「……」
フリオは声もなく、絵を眺める。
――そうか……ぁ。
「あのオペラも上帝陛下が書いたんだ」
「ええ」
ナーディアは視線をやや下に傾けて、手足をぐっと伸ばした。
「ふぅーん、そうか……」
ぐるぐると部屋の中の風景が回る。ある部分は迫るように大きくなり、ある部分は消えるように小さくなる。フリオは無意識にあるものを探していた。そんなことをすることに、何の意味があるのかさっぱり分からないが、とりあえずそうすることが自分に必要だと感じていた。
先程ナーディアが開けたボトルを手に掴むと、強く栓を閉めた。まさに、頭の記憶の壷に栓をするように……。
「もう帰るよ」
フリオはナーディアを見ずに告げ、部屋を飛び出していく。後ろで何か声がしていたが、よく聞き取れなかった。
夜の街を全力で駆け抜けた。世界は濃い闇に覆われているらしく、どんなに走っても、明かり一つ見当たらない。胸に物理的な痛みが加わる。それを置き去りにするために、さらに速く足を動かした。仕舞いには、足がもつれ、路上に仰向けに倒れる。
「あははは」
何もかもがおかしく思えて、ひとり大きな声で笑った。その悲痛な顔に、大粒の雨が降り注いでくる。
ふいに笑うのをやめると、急に眩暈を感じてきた。意識が薄らいでいく。このまま死ねたらどんなに楽だろうか……と思いながら、瞼を閉じた。
その直後、一台の馬車が止まった。
「あれは侯爵様……」
馬車の御者が、フリオを見つけて呟く。それからお嬢様と中へ叫んだ。
窓からメルローズが顔を出した。
「早くこちらへ」
御者は馬車を飛び降りると、急いでフリオを抱き起こす。
「すごいアルコールの匂いがします」
そして、顔を背けて言った。
「何があったのでしょう」
メルローズは憐れむ表情で、フリオを見た。
【10月下旬、南エスピノザ州】
数日後、セリアを援軍が出陣した。
急遽編成された構成軍だったが、数は5千に達していた。これにルブラン公国軍一万が加わり、オーギュストの率いる軍勢として体裁は整っていた。
オーギュストは、大軍で、サッザ城の周辺を徹底的に管理し、食料品を市場の5倍から10倍の高額で買い取っていく。名目は、大軍を維持する兵糧を確保するためだった。
忽ち、州内は大騒動となった。誰もが金に目が眩んだといっても過言ではない。年端のいかない子どもまでも、小さな手に穀物を握り締めて、金貨に変えた。そして、サッザ城内の雑兵も同様で、密かに倉庫から兵糧を持ち出して、売り払ってしまった。
ほんの一週間で、南エスピノザに金貨が溢れて、そして、穀物が消えた。
金がどんなにあっても、街道や橋には検問があり、州外から運び込む事ができない。特に、サッザ城は深刻で、いきなり兵糧が底をつき、さらに、支援を受ける当ても見つからない。
オーギュストの策は止まらない。
セレーネ半島の背骨と言われるカレドリア山脈の中へ踏み入り、小さな谷を目指した。そこに、サッザ城に篭城している将兵の家族が隠れていると、アルティガルドから情報を得ていた。
家族を捕らえると、サッザ城から見える位置に檻を作って全員を閉じ込めた。
城内は騒然となった。
「このままジッとしていれば、さらに状況は悪くなります」
「だが人質がいる……」
連日、議論が繰り返されたが、答えは出なかった。そして、夜毎に脱走兵が増えていく。
「この状況は、我々が追い込まれたのではない。我々がオーギュストを誘き寄せたのだ」
トンマーゾは、ついに決戦を決意して、全軍に演説した。
しかし、このタイミングで、オーギュストはオルレランの祭司を使者として城内に送った。
「トンマーゾ殿が城を明け渡すならば、家臣やその家族の命は助ける」
使者の口上に、トンマーゾは鼻で笑った。
だが、密書を二通、手渡されると、その顔色が変わる。
『身の安全を保障する確証として、シモーヌ・ド・ドーメルを出迎えに行かせる。また、彼女との暮らしのために、カロリンヌ州内に領地を与える』
これを読んで、トンマーゾの頭に血が逆流する。さらにもう一通は、シモーヌの直筆である。
父親に政略結婚させられたこと。
オーギュストにレイプされたこと。
軟禁のような生活。
そして、トンマーゾへの変わらぬ愛が切々と綴られていた。
――失って初めて、失ってはならないものを知る……。
最愛の女性との甘い生活が、頭にちらつく。もはや冷静な判断などできる筈もなかった。
トンマーゾはほぼ独断で投降した。部下たちを置き去りにして、彼女の待つ山麓の修道院へ急いだ。
辻を曲がって、緩やかな坂を僅かに登ると、古い修道院がある。壁の漆喰は剥がれて、屋根には草が生えていた。とても歴史的舞台に相応しい場所ではない。だが、トンマーゾにはもう何も見えない。
「シモーヌ!」
トンマーゾは名を叫びながら、小さな建物へ入る。そこで初めてゾッとした。兵が伏せていたのではない。ただ蜘蛛の巣が天井に張り巡らされ、床は一面埃で真っ白である。人の気配はひと欠片もない。
「……」
その場に似合わない、真新しい猫脚のナイトテーブルがぽつんと置かれていた。その上にメモが一枚貼られていた。
『私はあの場所で生きて行かねばならないのです。さようなら』
間違いなく、彼女の字だった。
トンマーゾは目眩の中、埃の床へ両膝を落とした。
オーギュストの本陣では、臨戦態勢を継続していた。
「残った将兵は?」
オーギュストが、参謀のダリ・カスティーヨに問う。
「全員二郭に集まっております」
開城した将兵は、人質の女子供と二郭で会っている。
「よし。ブーンに伝令、火攻めめせよ」
「はっ」
カスティーヨが力強く返答する。
「お待ち下さい……」
ヤンが甲高い声で一歩前に出る。
「全員ですか?」
「そうだ。不服か?」
「いえ……」
ここまで見せしめにする必要があるのか、この時ヤンには疑問だった。
そして、ブーンによって火攻めは決行されて、結果、騙まし討ちにあったトンマーゾの部下は尽く惨殺された。
「それはすぐに荷車に載せろ。こっちは次だ」
ヤンは心に引っ掛かる物を残しながら、帰国の準備を進めていた。
と、突き上げられた木材の影で、談笑しているランと香子を見つけた。
「フリオ殿は、今度の作戦に反対して、総司令官の任を解かれたそうですよ」
香子が声を顰めて囁いている。
「何?」
ランが喰い付きよく返す。
「フリオ様、カッコイイじゃない。珍しく」
こういう出所のはっきりしない噂を、ヤンは何度も聞いている。何処かで、意図的に流していると感じた。
――でもどうして?
分からないのは、オーギュストが改めて悪役となり、フリオを持ち上げる理由である。そこに何か大きな嘘が潜んでいるような気がした。
「あ?」
考えに耽っていると、香子がヤンに気付いた。
「乙女の話を立ち聞きですか?」
「え? いやちょっと……」
思わず焦ってしまう。
「なになに、ヤン君もヘンタイがうつっちゃったの?」
ランもおどける。
「ランさん、そんなところで油売らないで下さい。他に示しがつかないでしょう」
女性二人にからかわれて、ヤンは慌てる。そして、この状況を脱するために、無理やりにハイテンションを演じる。
「はいはい」
つまらなそうにぶつぶつと呟きながらランが歩き出す。そして、すれ違う時に、「ねえ」と声を掛けた。
「カイマルクの方がどうなってるか知ってる?」
「ああ」
ヤンの思考が、素早く切り替わる。
ロックハートは、ランの姉リタを後継者として、カーン公爵家復興に本格的に動き出していると聞いている。これには、妻ローラが相続したベネディクス・ハンザの莫大な遺産が使われているらしい。
「上帝陛下、君の姉さんをカーンの末裔だと認定したらしいよ」
「それじゃ、どうなる訳?」
ランも混乱している。
「君の処遇?」
当然、爵位が与えられるのだろう。そこまで考えて、ランとの付き合いもこれで終わるのかと一抹の寂しさを感じる。
「ボクの生き方は変わらない。剣一筋だ。それよりもリタはどうなるの? もしかして、陛下に?」
「適当な婿を迎えるのじゃないか」
カール大帝の末裔で、面倒な背景を持たない青年。この若い夫婦を立てて、ロックハートが義父として影から実権を握る。問題は、はたしてそう都合のいい男が都合よく見つかるかどうかであろう。そうとなれば、ランが心配するように、リタを献上して、その子を立てる方法もあるだろう。
「そうか。安心した」
ランはヤンの言葉にすっかり安心している。一方、ヤンは軽率な発言を後悔していた。
――宮廷とは、世界で最も穢れた場所かもしれない……。
――セリア、北宮。
セリアに帰還すると、オーギュストは、シモーヌ・ド・ドーメルの北宮入りを発表した。
そして、今夜は、マルガレータに召し出しがかかった。
「お願い申し上げます」
支度をするマルガレータの前に、ルイーゼが跪いた。
「これでは余りにもマルティナ殿が不憫」
「え?」
言われて、マルガレータの脳裏に鮮やかに記憶が甦る。
……
………
『ンんン……んッ』
唇を深く塞ぎ合い、舌が互い唾液を攪拌する。
オーギュストは、左手をマルティナの背に回し、右手で胸を揉む。
マルティナは両手をオーギュストの首に絡めて、脚を高く掲げて、太腿をオーギュストの体に密着させるように巻き付けている。
吹き出た汁の量が多いのだろう。グチョグチョと卑猥な水音が大きく鳴り響く。
『あっ、あああん』
マルティナは、オーギュストの腰に性器を擦り付けるように、尻を前後に振る。
そして、擦れる、当たる、深い、と然も気持ち良さそうに甲高く喘いだ。
………
……
「え?」
何度も呼ばれて、ようやく意識が戻って来た。
「私に身代わりをご命じ下さい」
「お前が……」
驚きの目で見た。マルガレータは、ルイーゼの真意を図りかねていた。
いつものように、マルガレータはひとり部屋の隅で酒に酔って、見学する。
ガウン姿のルイーゼは、オーギュストの前に進み出ると、胸元を固く合わせて、丁重に跪いた。
「恐れ入り奉りまするが、このような理不尽な行いはお止め下さい」
「……理不尽?」
意外な事を言われた、と戸惑った声で聞き直す。
「未だ乙女でいらっしゃるマルガレータ様に、性行為を見学させるなど失礼極まります。かつ、徒に忠誠の臣を傷付け、主従の絆を無意味に断つもの」
舌鋒鋭く抗議する。
「やむを得まい」
抑揚なく、答える。
「やむを得ぬ、と申されますか?」
これにルイーゼが頭に血を上らせた。
「左様」
「如何なる事情か、お聞かせ下さい」
「これは俺の女だ――」
膝を抱いて座るマルガレータを指差す。
「どう躾けようと俺の勝手。ましてその端女など如何様に扱おうとも自由だ」
傲岸に言い放つ。
「これはアルティガルド王国を蔑ろにする行為に他なりませんぞ」
怯まず、攻撃的な眼光で、正面から見据え返した。
しかし、オーギュストは容赦なくその頬を叩く。
いきなりの暴力に、ルイーゼは愕然とした。
「……ひっ!」
心底ぞっとする。何も言い返すことが出来ず、頭の中が真白になって、自然と涙が溢れ出ていた。到底、知性と行動力に満ちて、女傑と恐れられた女とは思えない。
「これを期待して、ここに来たのだろ?」
「……ち、違う……」
そんな事がある筈がない。逆だ。ルイーゼの心が烈しく叫ぶ。自分がここにいるのは、自分を陵辱した犯人を殺すため。その最重要容疑者がお前だ、呪いのように何度も何度も強く思う。
――ダメだ。この程度で動揺しては……。
必死に、気持ちを立て直そうとする。と、別のアイデアが浮かんできた。
――いい機会だ。見極めるのだ!
あの想像を絶するテクニックは、並の男ではない。もう一度経験すれば、すぐに分かる。
ルイーゼは、あの陵辱事件以来、その反動から、男性を遠ざけた。初めはレイプなど大した事ではない、と思い込もうとして男を誘ったが、体が近づくと心が麻のように乱れた。きっと後遺症で不感症になったのだろうと思った。
『悔しい!』
絶対に許さない。必ず見つけ出すのだ。
前で組ませた手首を素早く括り合わせると、グイッと縄尻を引き上げた。そして、背中から胸元にロープを回して、乳房の上下に巻き付ける。脇を曝け出して、頭の後ろで手を組んだ形を強制させられた。
――やだっ!
オーギュストの手が荒々しく乳首を抓り、そして、剥き出しの尻を無慈悲に叩く。
その瞬間、頭が痺れるような快感が、背筋を何度も何度も走り抜けていく。
「こんなになっているじゃないか?」
秘唇から溢れ出した愛液は、それまでの経験とは比べられないほど、大量に太腿の内側を濡らしていた。
「偉そうな事を言っていた割には、よく濡れる」
辛辣な言葉で、ルイーゼを責める。
――な、なにこの感覚……。
しかし、ルイーゼはその苦痛の中に潜む法悦を知る。いや、心の奥底に眠っていた被虐の肉欲が目覚めさせたのだろう。
「うう…あああ……」
瞳が虚ろに弛み、息が荒くなる。
「身体が教えてくれているのさ。何が一番気持ちいいのかを」
さらに、オーギュストが身体を叩く。
「あっ……ひっ……ンぐッ」
甘美な刺激に、身体を身悶えさせる。喘ぎとも呻きとも思える声が洩れ続けた。
「ど…どうして……?」
「どうして? お前が変態だからに決まっているだろ」
「……ち、違う……」
火照って蕩けた顔を何度も横に振って否定する。
『もっと…して…無茶苦茶にして……』
しかし、心の片隅に巣食う闇から、淫靡な響きのある声が聞こえてくる。
――あなたは誰?
『知っているくせに』
――え?
恐怖に慄きながら誰何する。嘲笑まじりの返答に戸惑っていると、口を大きく開いて、喘ぎまくる女の、否自分の姿が、瞼の裏の闇に浮かんできた。
『もっと深くぅ、抉ってぇ!』
――いいえ、私はそんな女じゃない……。
ルイーゼの腹の中を不快な感情が龍のように暴れまわる。今にも肋骨を突き破って、その禍々しい姿を現しかねない。
――……違うっ!!
強く否定した時、不意に、封印していた記憶が甦る。偽りの仮面がはぎ取れた瞬間だった。
陵辱の翌日から、平凡な日常が簡単に戻って来た。男勝りの女士官、超エリートの英才、プライドの塊、そんな自分を何事もなかったように演じる。表面上は、何も変わらす日々が過ぎていく。
だが、毎夜、男を漁った。破廉恥なプレイを積極的に行った。これが本当に自分なのかと不思議に思えた。初老の紳士、神経質そうな中年、無骨な男、真面目そうな青年、遊んでいる学生、相手を選ばず娼婦のように奉仕した。
しかし、決してあの快楽を得ることはなかった。身体に刻み込まれた感覚には、遠く及ばない。心には飢餓感がつのり、肢体は乾くように疼き、神経は稲妻のように苛立ち続けた。それでもセックスしなければ、気が狂いそうだった。
「ああ、うううう」
涎を垂らした口から、獣のような呻きを上げる。
――もしかしたら、もう一度イケるかもしれない……。
極彩色の肉欲が、ルイーゼの理性も矜持も、何もかも呑み込んでしまう。
それはまるで時間を盗み取ったように、唐突な変化だった。あれほど抵抗を示していた女が、一瞬で、官能の悦びにあからさまによがっている。
「く、下さい……」
真赤に上気したい美貌を上げて、被虐の感情が滲んだ声をもらす。
「正真正銘の淫売だな、お前は?」
「はい、私は変態です。ド淫乱の雌犬です……。どうぞ、お情けを下さい……」
悦楽に震える声で言ってしまう。
――ああ……ぞくぞくする……
今までに経験した事のない、深い官能のうねりが押し寄せてくる。
「ああ、私のオマンコを慰めてください。もう我慢できません……」
「よし、よく言えたな」
褒められた犬のように嬉々とした。
「ああっ、ああ〜〜〜〜〜〜」
オーギュストが串刺しにすると、その存在感をしっかりと体内に感じて、狂おしい甘美感にうっとりした顔で喘ぎまくった。
まるでそれは鍵と錠の穴がぴったりと合ったような感覚だった。何をしても回らなかった錠前が、きっとさび付いているのだろう、きっと穴が塞がれているのだろう、と思っていたのに、当たり前のようにスムーズに動いている。
――ああ、私の穴は、このチンポのために仕立てられているのね……。
自虐的に思う。しかし、そう思った瞬間に、何もかもが納得できて、心の閊えが嘘のように消えて、すっきりした気分になる。
「お前には分かっているはずだ」
「え?」
「お前を満足させられるのは俺だけだと」
「……」
「身も心もとっくの昔に俺のモノだ」
「うぐぅうっぅう……」
ドグンッ、脈打つ音が脳に響いた。何かが堰を切ったように全身へ流れ出ていく。それはきっと生まれ付き備わっていた隷従の呪いなのだろう。身も心も牝の性奴に生まれ変わったのだ。
「は、はひぃ……私はギュス様のモノです。所有物ですぅ。全てを捧げます、身も心も、そして、いやらしい……オマンコも……」
誰に教わるでもなく、隷従の誓いをすらすらと述べる。
「ああン、ギュス様がいないとぉ、生きてゆけませんぅ。おチンポ、ギュス様のおチンポが大好きな変態だから……。ああ、オマンコが擦れて、奥に当たって、気持ちいい……良すぎるぅ……!!」
一気に言うと、際限なく膨張した悦楽が爆発して、最高峰の絶頂へ駆け上った。
「いきます! 私ぃ! いく、いくぅううう!」
絶頂の余韻に浸るルイーゼを見下ろして、オーギュストは冷笑する。そして、巨槍を抜き、ぎゅっと窄まった蕾みにあてがう。
「そこは!」
忽ち驚愕する。だが、抗議する暇もなく、容赦なく押し込まれてしまう。
秘唇から溢れ出た愛液が、潤滑油代わりになったのだろう、巨槍はすんなりと根元まで埋まった。
「……ひっ!!」
アナルから全身に広がる苦痛。狂おしい程の淫らな思いが、全身を麻痺させていく。
「うッ……ハァっ!」
痙攣するように身体を震わせて、一気に息を吐き出す。そして、食い千切らんばかりに、アヌスを締める。
「壊れちゃう……ううっ」
初めてのアナルセックスに、入れられただけで、イキそうになった。イってしまったら、自分がどうなってしまうのか、それが恐ろしくて、身体を震わせた。だが、恐怖を抱けば抱くほど、益々淫らな昂奮を高めていく。
「お尻なのに……お尻なのに……こんなに感じている……」
口を金魚のようにパクパクさせながら、昇り詰めていく。
――私は牝犬……性の奴隷……もう戻れない……
一際大きなうめき声を上げると、さらに高い頂へと達した。
続く