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g_03.gif エリーシア戦記

...Record Of Ariesia War...


[back.gif第四十二章] [本棚] [next.gif第四十四章]
第43章 種々雑多


【神聖紀1228年10月、アーカス】
……
………
 天蓋の白いレースの下から見える世界は、淡い紫色に染め抜かれていた。大きな開口部には、夕闇の湖がはまり、まるで一枚のキャンパスのように見える。
 名画の前には当然赤絨毯が敷かれ、その上で、二つの影が蠢いている。
 女は顔を伏せ、よく引き締まった腰を、燕のように背に反らせている。
 男は、女の右脚を小脇に抱えて、荒々しく腰を打ち下ろしている。優しさなど微塵もなく、ただ怒涛の如く攻め、女を征圧しようとしていた。
「とっ、止まらないぃ!」
 絶頂につぐ絶頂。
「きもちいいのが、とまらないッ!」
 一つの快感が弾けて、身体の隅々で無数の誘爆を起す。女はもはや男に付随する前掛けのようである。その烈しい攻めに合わせて、墨色の髪を振り乱し、鍛え上げられた裸体を鮎のようにぴくぴくと跳ね躍らせた。
 女は勇ましい戦士だった。その才能を高く評価して、格別に取り立ててやった。
――よもやこうも簡単に堕落しようとは……。
 男に征服されて、喜悦に綻び、半狂乱になって喘いでいる。所詮、下賤の者でしかなかった、と言う事だろう。
――何と醜い!
 このあさましい交わりを目の当たりにして、湧き起こる感情は嫌悪感だけである。人としての尊厳も理知も捨て去り、餓えた獣が餌に群がるが如く、ただただ無様な振る舞いでしかない。見るに耐え難く、身の毛のよだつ醜態である。これも一種の拷問であろう。
…………
………
……
「……ん」
 長い睫毛を二度三度と震わせて、クリスティーは、ゆっくりと瞼を開いた。すぐに強い光が、薄茶色の瞳を照らし、半ば夢の中を彷徨う思考をはっきりと起動させていく。
 掃き出し窓の前に、スケッチブックを捲るオーギュストがいた。小豆色のガウンをまとい、濡れた髪を湖の風に当てている。
「フレイ要塞には、そのままリューフを。サンクトアークにはピカード、オールドアーカスにはカザルスを残す」
「はい」
「アーカス人捕虜は全員恩赦だ」
「はい」
「ただし、フェルディアのライラは反逆者として裁く」
「はい」
「半年間、牢に入れろ。その間、面会も差し入れも許すな。牢番との会話も一切禁止しろ」
「はい」
「ああいう人望があり、協調性に長け、想像力豊富な者には、一番効果的だろう」
「はい」
 ファルコナーはメモを書き終えると、一礼して退室する。
 シーツの擦れる微かな音に気付いて、オーギュストは、スケッチブックから目を上げた。
「ごきげんよう、将軍」
 凛とした声が室内に響く。
「ようやくお目覚めですか? 王女様」
 クリスティーはエキゾチックな顔を上げて、真直ぐにオーギュストを見据える。並の男ならそれだけでたじろいでしまう艶のある美しさがあった。
「敵中で熟睡とはさすがですね」
「当然でしょ。貴方に私を殺す事はできないのだから」
 氷のような微笑を湛えて、平然と断言する。
「ほぉ、何故?」
 とぼけた口調で問う。
「介入。でしょ?」
 即座に、迷いのない声で返す。
「ご明察。さっそくサイトでやる」
 オーギュストはスケッチブックを小気味よく叩いた。多くを語らず短い言葉での会話に、心が躍っている。
 事実、アーカス戦役後に関して、アルティガルドから干渉があった。オーギュストの勢力拡大を阻み、かつ、アーカス利権を確保しようとする意図が透けて見える。
 間もなく、平和省のレオンハルト大公とサイトで会談する事が決まった。
「どうしますか? それでも殺してみます?」
 瞳が挑発している。もし自分を傷つければ、アルティガルドの口実が増えるだけであろう。アーカスを欲するオーギュストが、そういう行動に出ない、と読み切った上での発言である。
 しかしながら、この虜囚という立場で、さらに、この射すような視線を受けながらも、微塵も臆しない態度を貫けるクリスティーに、オーギュストの心が震えた。
「初めから殺すつもりなどなかった、と言って信じてもらえるだろうか?」
「まさか無理でしょうね」
 くすっと小さく失笑するクリスティー。
「だろうな。しかし、真実だとしたら?」
 笑顔で、小首を傾げるオーギュスト。
「今更。私が命惜しさに、貴女を弁護するとでも思っているの?」
「弁護など必要とはしていない。ナルセスへの真摯な哀悼があればそれでいい」
「哀悼ならば、王女として、このアーカスの地で亡くなった者たち全てに、常に捧げている」
 精悍な表情で、頑な意志を伝えると、瞳を伏せ、胸元のエリースの首飾りを握り、口の中で、エリースへの祈りを呟く。
「ならば結構。これで俺も心残りなく帰れる」
「不逞な辺境の成り上がり者、にしては、不釣合いなしおらしい発言だな」
 優雅な手付きで口元を隠し、微かに笑った。
「勘違いしているようだから言っておくが、俺の願いは天下安寧。アーカスからも君からも、何一つ搾取するつもりはない」
「私も見縊られたものね。そんな甘い言葉を信じるとでも?」
「いつか分かり合えるさ」
「冗談でしょ」
 心底から無限に湧き上がる嫌悪感を如実に表す。
 渋面で苦笑すると、オーギュストはスケッチブックをパラパラと捲って、クリスティーのラフスケッチを見せる。
「俺は本気だ。ここに、君の外観を把握した。あとは君の心を入れるだけ」
「貴方への憎しみなら、ここに」
 クリスティーの左胸を荒く鷲掴みする。
 その言葉を打ち消すように、オーギュストは強めに言う。
「俺が欲しいのは、アーカスを愛する君の心だ」
「未来永劫、アーカスの地を蹂躙した者と手を結ぶことはない」
 口元には相変わらず澄んだ笑みを浮かべているが、瞳の奥には、明確な殺気が漲る。
「また会おう、美しく賢明な王女よ」
 オーギュストは背を向け、スケッチブックを振った。


 その頃、陸では、親衛隊の告別式が行われていた。
 大神官戦パンが、死者達へ木剣を与えていく。
「闘神の弟子である証として剣が与えん。今こそ勇士達よ、美しき戦乙女に導かれて旅立て。さらば友よ、黄金色に輝くヴァルハラで再会せん」
 そして、棺が閉められると、刀根小次郎が号令する。
「敬礼」
 剣を抜き、口元に運んだ。

 式の後、親衛隊の士官達は、宿舎にしているログハウス風の別荘に戻っていた。
「にしても、だ。あのオヤジは無意味に熱いなぁ」
 小次郎が呟いた。白い軍服のジャケットを窓の端のハンガーにかけ、何度も袖の皺を伸ばすように手を動かしている。
「ですね。やたら長かったし、半分しか意味も分からなかった」
 相手はナン・ディアンである。彼も逆の端でジャケットを繰り返し弄っていた。
 しかし、両者とも視線はジャケット上にはない。両眼周辺の血管を浮き上がらせて、ガラス窓の外、女性更衣室の僅かな壁の隙間へ、強固な執着心を帯びた視線を注いでいる。
「おい、ヤン中尉はどう思う?」
 その時ヤンは独り戦術シミュレーション盤で駒を動かしていた。
「そうか、やっぱりここは守備に徹するべきなんだ。予備兵力を投入して、厚く布陣して……でも、そうか、敵はこう動くか、どうやっても一杯一杯だなぁ……」
「おい、それじゃ俺は死ぬぞ」
 何時の間にか、オーギュストが後ろにいた。そして、ヤンの頭の上に圧し掛かり、盤を指差す。
「え? あっ!」
 ヤンは驚くが、今更身動き一つできない。
「いいか、ヤン。防御というやつは、寄せ手にプレッシャーを掛けなければ意味がない。こういう風に兵力を並べただけじゃ、寄せ手に時間を与え、今度はそこが餌食になる」
 オーギュストはヤンが置いた駒を指で弾く。
 ヤンは動揺の窮みの中で、放物線を描く駒を意味もなく目で追った。何一つ整理できない。
「安心しろ。戦略戦術研究所で鍛えてやる。覚悟しとけよ」
「あ……はい」
 取り敢えず頷いてみせる。
「しかし、お前達はいいなぁ」
 視線を覗き魔二人へ送る。
「俺クラスになると、女の裸だけでは興奮できん。そこに付加価値がないとなぁ。ガハハハ」
 オーギュストは腹式呼吸で笑い、ヤンの首をギシギシ揺らした。そして、筋を痛める限界寸前で、ようやく降りる。
「お、大きな声は、ひ、控えてください」
 小次郎は顔を真っ赤にして、声を必死に顰めようとしたが、裏返った声が逆に良く通ってしまう。墓穴を掘りながら、背中を汗でじゅっくりと濡らしていく。
「冗談だ。ほら、褒美」
 と、錦の袋に入った刀を投げ渡す。
「銘刀『虎徹』だ。大事にしろよ」
「あ、ありがとうございます」
 膝に額がつくほど、大仰に頭を下げる。
「それから、ナンは出向だ。オールドアーカスで平参謀をしろ」
「しかし、自分は親衛隊の一員で……」
 突然の命令に、戸惑いを隠せない。それを払拭するように、穏やかな口調で、オーギュストは続ける。
「当分戦闘はない。カザルスの下で軍政を学べ」
「あ、はい」
 ナンが落ち着きを取り戻し、小さく頷くと、オーギュストは再び視線をヤンに戻す。
「それで、バカラはどうした?」
「ラン中尉なら、洗濯物干し場で、やさぐれています」
「ふーん、もはや恒例だな」
 オーギュストは鼻を鳴らすと、ブーツの踵を鳴らして歩き出した。

 草原の丘、ランはたくさんの白いシーツが風に靡く下で、膝を抱えていた。
「アーカスの秋は気付き難い。草花は青々として、光は眩い。でも、烈しかった風は、穏やかに吹き抜ける……」
 ぼそぼそと囁く。まるでこの世の終わりのような悄気方である。
「下手な詩だな」
 オーギュストが横に立つ。
「別に詩じゃありませんよ。状況を説明しているだけです」
 ランは、ばつが悪そうに答えた。身体中がカッと熱くなり、季節外れの汗を浮かべて、顔を朱に染め上げている。そして、この恥ずかしさを無理に払拭しようと、思いの他大きな声を張った。
「また負けたそうだな――」
 ニヤニヤと言う。
「お前も俺のところに来た頃は、小粒だがピリリと辛い、と評されていたが、今じゃすっかりポヤヤンだな」
「関係ないじゃないですか」
 仏頂面になり、口を尖らせる。
「普通そうは見てくれん。世間というやつは」
「……面目ありません」
 余りのきまりの悪さに黙り込む。
 失笑気味に口元を弛め、オーギュストは胸ポケットからペンを取り出す。そして、干してあるシーツへ押し当てた。
「お前の目はいい。だが、身体がそれに追いついていない」
 言い終わると同時に、シーツが捲れ上がった。
「お?」
 思わず腰が浮く。
「お前に足りないのは、初速だ。こいつで練習しろ」
 立ち去りながら、ペンを膝の上に投げ落とした。
「あ、はい」
「さて、帰るか。シデへ」
 颯爽と草を蹴り上げた。


【シデ】
 シデ宮殿は、河沿いの離れた二つの邸宅との一つの聖堂を細い回廊で結んだ、薄く長い形状をしている。防犯や利便性には劣っているが、安上がりで手っ取り早い、という利点があった。
 長い廊下に、夕日が長く射し込む。茜色の幾筋もの光のカーテンが揺れている中を、人の群れが、柱の化身である濃い影を踏みしめながら歩いていく。
「総帥、モレノ・ド・カロリンヌはオルレランに逃げました」
「そうか。リシャール・ド・ベアール(セリア守護職)の息子(ラウロ)も仕事が早いなぁ」
 先頭を歩くオーギュストに、そのすぐ後ろを歩くマルセル・ラマディエが告げる。
「しかしながら、オルレランの大軍を呼び込むことになりましょう」
「そりゃそうだ」
 オーギュストは鼻で笑って、薄情に同意する。
「で、アルティガルドは?」
「はい」
 ラマディエの隣を歩くマザランが返事した。
「取り敢えずは静観のようです。まずパルディア遠征を優先する構えです。それに、聖エリース教会との衝突も激化し、数人の大司教の首を摩り替えるとか」
「はーぁ」
 オーギュストが大きなため息を吐いた。
「火を点けたはいいが、消化の手配は整っているのだろうな」
「それは……」
 マザラン・カーンが口篭る。
「ファンダイク。こっちにも声があるかもしれん。パルディア遠征の準備だけはしておけ」
「はっ」
 二列目を歩くもう一人、ヨハン・ファンダイクが首肯する。
 安普請の回廊が終わり、趣のある扉の前で行列は止まる。
「ここで待て」
 独り部屋に入ると、オーギュストは鋭い眼光で厳命し、素早く鍵をかけた。そして、徐に部屋の中央へ振り返る。
「ユーちゃん、何しているの?」
 猫撫で声で腰を屈めて、大理石の床に数式を書き込むユリアに近づく。
「お勉強」
「ふーん、凄いね」
「船の中でロープ見ていたら思い付いたの」
 ユリアは顔を上げずに答える。
「長ーいロープを宇宙に投げて、戻って来た端を握って引っ張ってね。もし全部回収できたら、宇宙は概ね丸いんじゃないかなーぁ、と考えたの。でもね。どうしてもロープが絡まっちゃうの……」
 くすん、と鼻水を啜った。
 その仕草で、オーギュストの胸が押し潰されてしまう。
「パパも手伝おうよ」
「いい、一人でできるもん」
 潤んだ瞳を精一杯鋭くして言う。
「ユーちゃん、立派になったねぇ。もうすっかりお姉ちゃんだ」
 オーギュストの視界が、ぼんやり滲んだ。
 ユリアは視線を床に戻して、首を捻る。
「やっぱりこのアプローチじゃ無理よね。そうか宇宙の断面を考えてみれば……」
 一方オーギュストは、素早く左右を確認する。
「ねえ、ユーちゃん。パパとママどっちが好き?」
「ママ」
「そ、即答……」
 オーギュストは力なく尻餅をつく。大理石の冷たさが心身に染み渡る。
「だって、ママはおっきな魔物をやっつけるし、ロードレスの平和のために、毎日働いて、みんなから尊敬されているもん」
 さらに素早く上下前後左右を確認する。
「パパはね、山みたいなドラゴンをやっつけた事があるんだよ。ママより強いよ」
 ユリアがいきなり無表情な顔を上げる。
「ママがね。男の自慢話は話半分に聞きなさいって」
「うっ……」
 今にも泣き出しそうな、情けない子供の顔になった。
「それ実感なんだ。アドルフ君が太陽のようなカブトムシを持っているって言うから見に行ってね。約139万キロメートルあるのかなぁと思ったら、手のひらサイズだった」
「うーむ、深い」
 オーギュストが長く唸る。
 その時、奥からアフロディースが現れた。
「ユリア、何しているの。早く着替えなさい」
「ちぇっ」
 ユリアが舌打ちをした。その瞬間、ぱちんと乾いた音が響き渡る。と同時に、オーギュストが甲高い悲鳴とともに縮み上がった。
「あなたは、ロードレス神国を背負う責任があるのよ。そんな下品な態度は許しません」
 しぶしぶユリアは立ち上がり、アフロディースと手を繋いで歩き出す。
 そして、オーギュストは一人ぼっちとなった。
「アドルフ……アルティガルドの男性名……」
 顔を伏せ、床を眺めながら、低い声をもらす。
「おのれぇ〜。小市民のささやかな幸せを踏み躙る極悪人どもめ。皆殺しにしてくれようぞ!!」
 地獄をも凍り付かせるような、呪いの言葉を吐くと、じりじり十本の指が大理石の床を穿っていく。髪は逆立ち、目は剥かれ、まさき悪鬼のような顔立ちだった。

 着替えたユリアをつれて、オーギュストはミカエラの部屋を訪ねていた。祝いの品々に囲まれて、フリオなどの一族も揃っている。
「おお!」
 ベビーベッドを覗き込んで、オーギュストは、感極まった声で咽んだ。もはやこの感情を言葉では紡げない。瞼から零れる嬉し涙が、止め処なく頬を流れ落ちていく。
「猿だ」
 ユリアは短い感想を述べて、人差し指で突っつく。それに、ミカエラが目尻を吊り上げる。
「フェリシア、お父様よ」
 ミカエラは、オーギュストの肩の上に顎を乗せて、優しく囁く。そして、さりげなくユリアの手を払った。
「え?」
 不本意そうに、オーギュストは顔を向ける。
「フェリシアって?」
「アーカスにゆかりの深い、不死鳥にちなんだ名前よ。いいでしょ?」
「えーーーー、命名は男の醍醐味なのに……」
 オーギュストは唇を尖らせて抗議する。
 すでに、ミカエラは叔父ロベルト・デ・スピノザ男爵から男爵号(アーカス貴族)を譲り受けて、フェリシアに継承させている。そして、弟のフリオに対して、状況によってはアーカス出兵を命じるつもりでいるから覚悟しておくように、と伝えている。
 これに対して、フリオは「カイマルクに仕事が残っている」と反論したが、「スピノザ家のため」とミカエラに鎧袖一触されてしまう。
「アーカスの平和のために、名門スピノザ家が礎となるのです。それが高貴な者の責務だから」
「だけどさ……」
 ぶつぶつと顔全体に不平を表すオーギュスト。
「それとも何?」
 ミカエラが怪訝というより威嚇的に眉を寄せる。
「このまま私が、知性は上の上、顔は上の――」
 ここで、ユリアを一瞥する。
「『顔は上の中、だけど、経済は上の下』とバカにされたままでいいの?」
「う……」
 まだまだ納得し難いオーギュストは、難しい顔をして、ミカエラを見据える。
 業を煮やしたミカエラは、内心舌打ちをして、伝家の宝刀を抜いた。
「私がバカにされると言う事は、フェリシアがバカにされる事なのよ」
「それは許せん!」
 思わず、憤然と叫んでいた。
「でしょう」
 ミカエラは勝ち誇ったように微笑む。

 腑に落ちない感情を抱えて、カレンの部屋を訪ねるオーギュスト達。
「やっぱり猿だ」
 ユリアが呟く。その横で、心の奥底から湧き起こる歓喜に泣きじゃくるオーギュスト。
「ゴメンね。今まで、暗くて狭くて心細かったろう。でもこれからは大丈夫。パパがずっとずっと守ってあげるからね。どんな時でも、パパだけは味方だからね」
「お父様は大袈裟でちゅね」
 カレンがオーギュストの背中に寄りかかる。そして、豊かな二つの膨らみを、意識的に押し当てている。
「パパが最高の名前を考えてあげるからね。世界中の聖女や美女の名前を融合して、さらに研磨して、絶対に幸福になる究極の名前をあげようねーぇ」
「お父様はかわってまちゅねぇ」
 くすりと笑って、カレンは立ち上がる。
「紅茶を用意しましょう」
 その時、胸が揺れた。カレンの顔が満悦に溢れた。今度は鏡を見ながら、ちょこんと跳ねてみる。膨張した胸がいっそう揺れ続ける。鏡には、恍惚の微笑を浮かべる顔があった。
 母親が離れる気配に気付いたのか、突然赤ん坊が目を開いた。吸い込まれそうなほど大きな瞳である。そして、始めて見る人物を、まじまじと見詰め始める。
「まさにスノウ・ホワイト……」
 冷たいまでに純粋な白輝の中に、佇む神秘の宝石。その清浄な輝きに、忽ち目が眩む。
「ああ、み、見ないでくれ。俺の中の邪が…うう……うがぁ」
 恰も太陽の光に照らされた吸血鬼のように、オーギュストの体が、光の奔流に溶けていく。
「あ、パパが消えた」
 ユリアが不思議そうに叫ぶ。
「まっ、いいか」
 そして、呆気なく妥協した。
 後にオーギュストが謂う、『破邪瞳ピュアピュア光線』の最初の発動であったらしい。
「本当に何もかも、あなたのおかげよ。生まれてきてくれて、ありがとう」
 消えたオーギュストを気にする様子もなく、カレンは我が子を愛おしく眺める。と、ユリアが無垢な足に何か書いている事に気付く。
「何しているの?」
 思わず眉を顰める。
「幸せを呼ぶ、エネルギー保存の法則を書いているの」
「そんなの呼びません!」
 カレンが唾を飛ばす。


 フリオは馬車で宮殿を出て、郊外のナルセス記念練兵所公園を向かう。途中急峻な丘を越えるが、坂道がS字に曲がる脇に、砂防ダムがある。水は枯れているが、その畔に楓が密集し、一際鮮やかに紅葉していた。
 意外にも、ナーディアの姿が目に入った。彼女は両手を脇について、赤い落ち葉の上に座り、頭上の紅葉を眺めている。
 そのまま素通りしようかと思ったが、彼女の方が気付いて、黙ったまま、目で命令するように「来い」と合図する。
 一瞬迷ったが、フリオは馬車を降り、彼女の元へ歩いていく。そして、二三歩ほど手前で立ち止まった。
「やあ、久しぶり」
 言ってから、なんて芸のない挨拶だろうと口元を歪める。ナーディアは返事をせず、指で紅葉の絨毯を指す。仕方なくフリオはその座に正座した。
「そうね」
 やがて静かに、ナーディアが口を開いた。
「どうしたの?」
 居たたまれず、そう口走っていた。ナーディアの顔は真っ蒼で、疲れと悩みの深さが目の下のくまに刻まれているように思えた。
「あんたさ、あたしの事大切?」
「そりゃ……付き合い長いし……」
「だったら頼まれてくれない?」
「……ダメ」
 フリオはきっぱりと言い切った。
「トラブルメーカーを宮殿に入れる訳にはいかない。これは最終決定なんだ」
「また、あのお姉様の言い付けな訳? 侯爵様が聞いて呆れるわ。ただのシスコンじゃないの!」
 ナーディア薄情な薄笑いを浮かべて言うと、落ち葉を掴んでフリオに投げつけた。彼女はフリオの知らない、得体の知れない女性になっていた。
「ごめんなさい……許して。あたしどうかしているのよ」
「別にいいよ」
 フリオは囁いて、立ち上がり、服に残っていた枯葉を払い落とす。
「じゃ行くね」
 返事はなかった。ナーディアは膝の上に頬を埋めている。背を向けたフリオは、涙の湿りを感じたような気がした。
――ああ、彼女も恋をしている……。
 と思った。自分と全く同じだったからだ。
 きっとこの胸を衝く想いが、運命かどうか知りたいのだろう。永遠がどうか知りたいのだろう。そして、何時か、この不安な日々が報われるのかどうかも……。
 空は青々として、木漏れ日は眩く、風は爽やかだった。なのに、心には見知らぬ、もやもやが膨らんでいる。侘しいのか、悲しいのか、そして、腹立たしいのか、俄かには判別できない。おそらく若者が抱く一切の感情が、小さなコップの中で沸き立っていたのだろう。
 大きく叫びたい感情を抑え、駆け足で馬車へ戻る。この地を一刻でも早く立ち去りたかった。
 昔祖母が言った。恋愛など勘違いだと。では何故結婚したのかと訊くと、結婚は女神が決める事だと返ってきた。
 今はその言葉が間違いだと知っている。恋は存在するのだ。この胸の内が証拠である。
――ああ、貴女の苦しみが消えるなら、僕はこの命さえも差し出すだろう。それでも足りなければ、姉の力も借りよう……。
 遠い北方を眺めると、胸が締め付けられた。
「運命か永遠か……この疑念を解けるのは貴女だけなのだから……」
 赤い紅葉が体の中に入り込んだように、血が熱く滾った。

 消えたオーギュストは、修道院に隣接する施設で復活を果たしていた。
「うむ、大丈夫だ」
 ベッドに眠る子供の胸に、聴診器を当てるオーギュスト。徐に外すと、カルテに書き込み始めた。
「正竜丸を飲めば、一晩で治るぞ」
 ラッパのマークの瓶から、黒粒を一粒取り出して、手渡した。
「ほら、ありがとうは?」
 ローズマリーは子供を起こしながら、オーギュストに礼を言うように促した。子供は無邪気に微笑んで、丁寧に頭を下げると、部屋を出て行く。
「素直ないい子だな」
「ええ。みんな辛い事があったのに、真直ぐに生きているの。逞しいわ。見習わなくちゃ」
 ローズマリーが嬉しそうにはにかむ。
「そうだね」
 オーギュストは消毒液で手を洗って、ウッドデッキに出た。外はすっかり暗くなり、満天の星が降り注ぐように輝いている。
「子供には会ったの?」
 後に従うローズマリーが、真面目な面持ちで訊いた。
「ああ」
 短く、軽く答えて、手すりに肘を乗せた。
「そう。あの子達の生まれ変わりかも……」
 横に並ぶと、ローズマリーが囁く。
「それは違うよ。あの子らはあの子らだ」
 やや厳しい口調で返した。
「そうね……」
 ローズマリーは顔を傾けて、オーギュストの胸にもたれる。そして、きつく顔を押し付け、掴んだ服を強く握り締めた。
「また会えるさ。俺達がしっかり生きて、たくさんの子供達を幸せにすれば、あの子らも、もう一度俺達を親に選んでくれるさ」
「そうね……その時は必ず……」
「ああ。大丈夫さ」
 オーギュストの腕が、ローズマリーを優しく包んだ。


【サイト】
 港を見下ろす高台の一室。夜景の全貌を収める大きなガラス窓に、刀根留理子の歩く姿が映っている。
「アロンソ・ウルサイス・デ・アランサバル殿ですね?」
 U字型のソファーに座っている男に話しかける。
「そうです」
 男は立ち上がって、留理子と握手した。
「よくお越しくださいました」
 アロンソは、先の『オールドアーカスの戦い』で戦ったマルコス・デ・ザウリの甥である。彼自身も戦いに参加し、その才の一端を示す働きを見せている。
 留理子はオーギュストに先行して、会談の準備を行っていた。アロンソは、参考人して呼ばれた叔父の代役である。
「刀根殿に紹介したい人がいる」
 アロンソが隣室への扉へ目を向けると、徐にドアが開いた。
「ごきげんよう」
 そこから現れたのは、アーカスの王女クリスティーだった。
「行動の自由は、総帥が保障されましたが、アーカスを許可なく出る事はできない筈ですが……」
 冷淡な表情で、事務的な口調で言う。そして、改めて、問い詰めるようなきつい瞳を、アロンソへ向けた。
「手引きをなさったのですか?」
「私が無理を言ったのです」
 答えたのはクリスティーだった。事実、彼女は出港直前のアロンソの船を突然訊ねている。そして、彼の手を掴み、自らの胸に導き入れると、甘く耳元で「お願い」と囁いた。アロンソは、顔を脂汗で汚しながら、乾く唇で「お願い?」と鸚鵡返しする。もはやアロンソは蛇に睨まれた蛙状態である。どんな要求も、拒めよう筈がない。
「貴女も私も、故郷を失ったという点では同じ。もっと親しく深く語り合えるはずよ」
「ふっ」
 留理子は思わず失笑してしまう。
「お話にならない」
 しなやかな肢体を捻り、踵を返しかける。その時、素早くクリスティーが毒の舌を動かした。
「失礼ながら、ディーン家の中では頭打ちの様子。私ならば、ポーゼンを与え、そこに自治権を与える事ができる。如何ですか?」
「……」
「こちらに、ある国の、さるお方の確約がある」
「……」
 留理子は足を止め、無言で鋭い視線を送る。
「興味を抱いて頂いたようね?」
 クリスティーが氷の微笑を輝かせた。

 翌朝、巡航艦に乗ってオーギュストがサイト港に到着する。
 狭い室内は、交じり合う男女の体臭でむせ返るようだった。
 シモーヌは、金色のシーツの上で身体を横に寝かせ、座るオーギュストの膝の上に顔を埋めている。
 ジュツ、ジュル、ヂュルゥ……。
 男根を口に含むと、頬を窄めて吸い啜り、そして、頭を上下させている。時折、止めては舌を出し、裏を舐め上げ、先端へ唾液を垂らした。
「随分上手くなった」
 オーギュストが誉めると、外巻きにした髪をかき上げて、男心をくすぐる、くりっとした大きな瞳で見上げた。
「お、お願いがあります……」
 男根から糸を引いた唇で、だらしなく言う。
「言ってみろ」
 優しく応じる。
「最後にもう一度……」
 言いかけて、ややぽっちゃりとした頬をぽっと赤くした。そして、再び男根へ舌先を伸ばす。恥ずかしさから逃れるために、覚えたての行為に没頭しようとしている。もはや口唇奉仕に何の躊躇いもないらしい。
「時間がないが、仕方がない。お前の親父にもう少し待ってもらおう」
「あ、ありがとうございます」
 オーギュストは堪らす感涙する。
――よくぞここまで育った……。
 自らの躾に満足する。そして、シモーヌの片脚を持ち上げて、開いた股間に手を伸ばし、より精力的に秘唇を掻き回し始めた。
「あっ、感じますぅ」
 すぐに蕩けた声で喘ぐ。
 当初、オーギュストはサイトへの旅に、ティルローズを同行させるつもりでいたが、「嫌」のたった一言で拒絶された。
「きて、きて、中に出して! 子宮にかけてぇ!!」
 出港前夜、ティルローズを抱いた時に、何度もティルローズは射精をねだり、妖しく媚びた。しかし、決してオーギュストは膣内に出さず、必ず顔へかけてしまう。
「どうしてよ!!」
 精液を顔に塗しながら、ティルローズは怒鳴る。
「また、お姉さまなの?」
 瞳は今にも必殺の光線を放ちそうである。
「分かって欲しい。こうするしかないんだ」
「冗談じゃないわ。バカにしないで!!」
 枕を投げつけると、裸のまま寝室を出て行った。
 こうして、船中の相手を他に求める事になった。候補は、護衛のキーラ、専属魔術師のシズカ、専属占師のダーライア、従軍神官サーシャ、そして、艦隊司令官の娘シモーヌである。
 五人を四つん這いで並ばせる。そして、スカートを捲らせ、ショーツを下ろさせ、桃尻を掲げさせた。
 それぞれに花開く、秘所。肉の薄いもの、厚いもの。肉芽が大きいもの、まだ皮に隠れているもの。襞が長いもの、縮れているもの。毛が薄いもの、秘裂を囲むもの。締りが良いもの、蜜が多いもの。どれもが魅力的だった。
 その中で、一番色が淡いものを選んだ。
 一晩中抱き、抜かずに六発射精した。子宮が精液で満たされると、穴がようやく馴染むようになった。
「じゃ、カウントダウンしながら抱くか」
 オーギュストは呟くと、呆けているシモーヌを抱き上げ、全裸のまま、丸いガラス窓の前へ運んだ。
「……ひ、ひどい……あたし……」
 シモーヌが鳴く。船は港の中をゆっくりと進み、岸壁の上の人がくっきりと見える。
――気付かれる……絶対に気付かれてしまう……。
 身を捻った。
――逃げよう……逃げなくちゃ……。
 しかし、脳が焼けた。心臓が痛むほど激しく打ち、滾った血を全身へ送り出す。肢体が爛れるようだった。
「あっ、あっ、イイッ!」
 思わずこぼれた言葉に、本人が驚いた。
――来る…何かが来る…!
 ぞぞっと背筋を得体の知れない、冷たい蟲がせり上がって来る。思わず、ガタガタと震える歯をぐっと噛み締めた。
 そんなシモーヌをあざ笑うように、オーギュストの男根が、秘唇の上を往復する。
「い、いれて……」
 思わず口走った。
「何処に?」
 途端に、何かが弾けた。
「オマンコよ。だから、ねえ、ぺ、ペニスが欲しいのッ! またっ、また欲しいのっ! オマンコが寂しいのっ……お願い…我慢できないのッ……!!」
 シモーヌは綺麗な尻を揺すって催促した。
 オーギュストは小さく口元で嘲笑すると、シモーヌの尻を掴んで、無造作に打ち込む。
「あッ! ん……ああッ!!」
 すぐに切羽詰まった声を上げた。火照った貌が淫靡に蠢く。
「あぃッ、す…ごぃッ…いーーッ! 大っきいわッ!!」
 ただ挿入れられただけで、あえなく絶叫する。
「シモーヌは呑み込みが早いなぁ」
 いやらしくシモーヌは腰をうねらせる。オーギュストは背後から圧し掛かり、卑猥に息を耳に吹き掛けた。
「そうよッ。だって……ギュス様ので…いっぱいなの……気持ちイイの……頼もしいの……嬉しいの……感じちゃうのッ!」
 シモーヌは全身を汗で濡らしている。髪は張り付き、恥毛は何度も濡れては乾き濡れては乾きを繰り返して、パリパリになっていた。
「やっ……あッ、あッ、あッ、ああッ、もうっ、もう、いっちゃうぅ、いっちゃうッ!」
 もうそこにかつてのシモーヌはいない。ただの性に溺れたメスである。
「はひぃ……アーーーんゅ!」
 奇妙な声と共に、シモーヌは尿をもらしていた。その瞬間は恍惚として歓喜に満ちていたが、次第に表情を強張られていく。
「いっ、いやぁ……とまらなぁ…うっ…いぃ……」
 そして、オーギュストと繋がりながら、膝をかたがたと震わせ、弱々しく内側に寄せ合う。しかし、その間を無情にも滴が流れ落ちていく。


「暗殺者?」
 桟橋を歩くオーギュストに、出迎えに来た白石弥生が告げる。
「そう。王侯の依頼しか受けない、伝説の男らしいわ。何でも殺しのライセンスを持っているとか」
「その男なら認知症で引退したんじゃないのか?」
「二代目がいるのよ」
「聞いているか?」
 オーギュストは首を捻って、ファルコナーに問う。遥か後方を歩く留理子は、そのやり取りを無言で聞く。
「いえ、そのような情報はありません」
 ファルコナーは徐に首を横に振った。
「だ、そうだ」
 視線を戻し、馴れ馴れしく弥生の腰に手を回すが、
「あっ、あたしを信じないわけ? 冗談じゃないわ!! 死ね!!」
 その手を払い除けて、弥生は足早に去っていく。
「どうして俺の周りには、こうも短気な奴が多いんだろうね」
 オーギュストは短くため息を吐いた。
「どうよ、ケイン」
「残念です」
 フェルコナーが、我が事のように、悲しげに唇をかみ締めた。

 昼少し前、オーギュスト一向は、会談の会場の『大丸旅館』に到着した。すかさず女将が、得意顔に奥の離れへと案内した。
 会議室に入ると、すでにアルティガルド代表のレオンハルト大公が待っていた。
「よくいらした」
 レオンハルトは、気品ある、若々しい笑顔で出迎えた。そして、両手を大きく広げて、全身で歓迎の意を表している。
 白い羽が高く伸びるシャコー帽を被り、黒いマントを羽織、鮮やかなロイヤルブルーの軍服には、総付きタイプの肩章が乗る。まさに唯一の元帥に相応しい、見惚れるほどの堂々たる立ち姿である。
「お手数をおかけする」
 オーギュストは向かいに立ち、恭しく一礼した。
「法と人道にもとづき、名誉ある交渉を行いましょう」
 レオンハルトが白い手袋の右手を差し出す。眉目が涼しく、口は女性のように細やかで、繊細な貴公子ふうの風貌である。
「同感です」
 それを掴みながら、オーギュストも微笑んだ。その薄い膜の裏側で、『観賞用の小鳥が籠から抜け出て、はしゃいでいる』と、冷酷に批評する。
 会談の初日は、互いの友好を確かめ合って終わる。
 この後、全員で昼食会が催された。
 オーギュストとレオンハルトは、並んで、グラスをカチンと合わせた。
「平和に」
 それから、互いの家臣団へグラスを掲げ合う。
 すぐに、場は砕けた会話が交わされるようになる。
「こちらはウェーデリア公女オードリー・グリーナウェイ殿だ」
 レオンハルトがオードリーをやや照れながら紹介する。
 ウェーブのかかったクリーム色を束ねて上げて、若草色のリボンで結んでいる。そして、桜色のドレスにも腰に大きなリボンがあった。
 銀縁の眼鏡をかけて、物静かな落ち着いた雰囲気を漂わせているが、幼少の頃はやんちゃで知られ、その名残である旺盛な好奇心といたずら心を、大きな目と太い眉から垣間見せている。
 この内外のアンバランスさが、正統派の美貌の笑顔を、極めて繊細で、触れば忽ち壊れてしまうような、不思議な危うさに変えているようだった。
「はじめまして」
 淑女らしく、つつましく挨拶する。そして、沸き立つ好奇心に目を細めて、やや控え目に手を伸ばそうとした。その瞬間、先にオーギュストが手を差し出す。
「え?」
 オードリーはしばし目を白黒させたが、レオンハルトを一瞥して、オーギュストの手の甲に口付けを与えた。
「姫には以前会っている。あれは雨の日だった」
「そうでしたか」
 返事する声に、嫌悪が匂う。もう顔を伏せて、視線を合わせようともしない。
「サリスへの援軍派遣の出陣式での事だ。もう五年も前になる」
「……」
 記憶の糸を手繰るのに、時間を必要としない。今でも、雨の中を行進する若い兵士達の姿を夢に見る。
「姫は一人一人の兵士に声をかけられた。私も一兵士として、この上もなく名誉に感じていた。まさに、姫は太陽のように眩しかった」
「……畏れ入ります」
 誉められて、素直に、さっと顔を赤らめた。
 その反応が、オーギュストには、そこの浅い女のように感じられた。ふいに、クリスティーならどう応じるだろうか、と考えている。そして、無意識に言葉が口から出ていた。
「運命の流転の末に並んで見れば、雑種に過ぎなかった。アハハハ」
 レオンハルトもオードリーも一瞬意味が分からず、呆然と立つ。
「所詮俺の眼も、この程度だ」
 オーギュストは高笑いすると、「では」とレオンハルトの肩を軽く叩いて、別れの挨拶とした。

 岩田屋旅館。
 夕刻過ぎ、オーギュストの宿を、アルティガルドの外交官エドワルド・フォン・バイエルラインが訪ねていた。
「あれはいただけない」
 さっそく苦言を呈する。
 二人は、囲炉裏を囲み、ぼんやり灯った灯りの下、温めの酒を、焼いたイカを肴に飲んでいる。
「単なる自虐だったのだが、誤解を与えたのなら、申し訳ないことをした――」
 しおらしく言って、手酌で酒を注ぐ。
「謝罪にグリューネルへ行こう。ついでに、公王にブルサの恩賞でももらおうか」
 燗の香りを嗅ぐと、途端にふざけた口調に変わった。
「残念ながら、総帥は脱走兵なので、城に入った途端に、逮捕されますぞ」
 バイエルラインも酔っている。
「そいつは困ったなぁ」
 頭をかいて、オーギュストは愉快に笑った。
「困ったと言えば――」
 イカを齧りながら、バイエルランは話を変える。
「御妹君のマルガレータ様も来られている」
「おいおい、これはピクニックか?」
 オーギュストは苦笑いする。
「キツネリスの狩を、総帥に供して欲しいらしいです」
「キツネリス……」
 思わず、緑色の目に長い尾と耳を持つキツネリスを肩に乗せ、青い衣をまとって、黄金の野原を歩くユリアの姿を思い描く。
「まぁ考えておこう」
 言って、悩ましい問題に迷いながら、無意識に徳利を掴み、喉を鳴らして飲み干す。甘美な感覚が喉を滑り落ちていく。
「お見事と。では私も」
 バイエルラインも負けじと徳利を二つ三つと煽った。
 その時、殺気がオーギュストの肌を刺す。まどろみから復帰して、障子の影に人の気配を見つける。
「あれは……?」
 隙間から白い顔が覗けた。その双眸からは、禍々しい光が放たれていた。
 オーギュストは赤い顔を振って、うーい、とおくびを洩らしながら、ゆらりと立ち上がった。
「ふふ、よくよく俺は勝利の女神につきまとわれているようだ……」
 十分に出来上がった声で呟くと、仰向けに寝転ぶバイエルラインを跨いで、視線の後を追う。幾重にも折り曲がった廊下を、千鳥足で進み、土蔵に入った。
「クリス、何処へ行くのかな?」
 美女を追いかける気分は上々である。
「ようこそ」
 高窓から差し込む月明かりがスポットライトのように、クリスティーを照らす。微笑を携え、危険が匂い立つ。
「俺が欲しいものは、用意しているのだろうな?」
「さあ幕を降ろしましょう。喜劇は終わりよ」
 クリスティーはオーギュストの問いに直接答えず、淡い月光に似合う、涼しげな笑みを浮かべる。
「自爆とも思えんが……」
 オーギュストは、酔った眼差を周囲の闇の中へ配る。ここで二人が死んでも、アーカスに何一つ益をもたらさない。クリスティーほどの女性がそんな選択をするとは思えなかった。
「何を考えているのやら、恐いねぇ」
「死を恐れるのは、まだ十分に幸せではなかったから。私が死に値する幸福を差し上げましょう」
 クリスティーが両手を広げて、誘う。
「女の腕の中で死ぬのは満足だが、ここは少し寂し過ぎるような気がする」
「真の英雄とは、人知れず死ぬものでしょ」
「英雄ならば、死ぬ前に世界を手に入れねば」
「まだ足りないの? でも、もうすぐ一つの墓石で足りるようになるわ」
 闇が内蔵する危険な緊張感の中で、オーギュストは一歩一歩クリスティーに近付いて行く。
「その一歩が死への一歩よ。覚悟して、生を実感しなさい」
「ご好意感謝する。しかし、死神は手強い俺より、楽な弱者を選ぶらしい」
「雨が降れば、英雄も濡れるもの。死は弱者にだけ訪れるのではなく、すぐ隣に存在するのよ」
「幾万の死地を乗り越えて、女も世界も手に入れてこそ真の英雄だろ?」
「死を直視できないようでは、真の英雄とは呼べないわ」
「俺は死ぬべき理由も、その時も知っている。残念ながら、今はその時じゃない」
「私を自由にしたのは間違いだったわね」
 オーギュストが土蔵の中央に達すると、それまでの声とは違い、生の感情をむき出しにした声で、クリスティーが叫ぶ。そして、右手の中の発信機を握り締めた。
「ど、どうして」
 が、何も起こらない。
「無駄だ。俺の前で単純な魔術通信が出来るわけがない」
 クリスティーは発信機を投げて、背を向けて逃げ出す。
「少しガッカリしたよ。この寂寥感を償ってもらう」
 再びオーギュスが追う。
 クリスティーはそのまま裏口から庭へ出た。すぐにオーギュストも出る。暗い蔵から月明かりの下へ出た瞬間、胸に衝撃が走った。
「なっ!」
 オーギュストが短く呻く。咄嗟に胸に手を当てた。深々と矢が突き刺さっている。
「ど、どうして」
 間もなく、肩から地面に倒れた。
「歴史を変えそこねたわね。最後の講義をしてあげる。男を越えなければ英雄にはなれなくてよ」
 クリスティーが高貴に笑う。そして、止めを刺そうと、短刀を手に迫った。
「矢には猛毒があるという。師の訪れをじっと見守るのも一興だけど、運命は待つものではなく、己の手で切り拓くもの……」
 両手で大きく振りかぶった。
「座右の銘にするとしよう」
 そして、振り下ろそうとした瞬間、素早くオーギュストが起き上がり、クリスティーの首を左手で掴んだ。
「ば、ばかな……」
 ゆっくりと絞める。
「覚えておけ、歴史は遍く俺の味方だ」
 数秒で、クリスティーは意識を失った。

 かび臭い、冷たい部屋で、クリスティーは瞳を開いた。長方形の殺風景な部屋で、安っぽい黒いソファーの上で眠っていた。
「お…も…きろ……」
「ううぅ……」
「おい、もう起きろ」
「んん、ここは……」
 意識が戻ると、すぐに、服を調べる。服に乱れはなく、下着もそのままつけている。変な道具も付けられた気配はない。
「何もしていない。お前を力で屈服させても、興醒めだからな」
 相変わらずの台詞だが、声の切れ目に呻きが潜んでいる。精一杯の虚勢を張っているのは明らかだった。
 クリスティーが顔を向けると、オーギュストはスチール製の机に座って、胸にガーゼを当て、器用に包帯をまいている。
「当たっていた……」
 不審がるクリスティーを察して、オーギュストは目で机の上の懐中時計を指す。
――矢が刺さっている……。なんて偶然……。こんな事が起こり得るか……。
「相変わらず、凄い腕だ」
 オーギュストが苦笑する。
「寸分狂わず胸ポケットの時計を射抜いた。圧巻だな」
「……」
 クリスティーは眼光鋭く、睨む。
「あの男を知っているの?」
「お前より少し付き合いが長いだけだ」
 左手の親ぶちと人差し指で、小さな隙間を作って見せ、さらりと言う。そして、コップに水を汲み、そこへ金貨ほどの錠剤を落とした。
「こいつは作るのに丸一年かかるし、何より苦い。この苦さだけは全然解消できない。いや、苦いなんて生ぬるい言葉では、決して追いつけない。この恨み、償ってもらうぞ」
 オーギュストはそう宣言すると、指を真っ暗なミラーに向かって鳴らした。
 すーと、墨色が消えて、隣の部屋が透けて見えるようになった。
「向こうからは見えない」
 短く説明する。
 ミラーには、中年男と少女がいた。少女は縛られて、吊るされて、男から鞭でぶたれている。
 バシーッ。
 という音が、クリスティーの頭の中で再現された。
「酷い事を……」
 クリスティーが顔を顰めて、目を逸らす。
「こういう世界は初めて?」
 平然としたオーギュストの声に、怒りの光を含んだ瞳を上げて、憎しみを込めて睨む。
「私を苦しめるためなら、こんな事、すぐに止めなさい。あの娘には関係ない」
「優しいね。だが、本音じゃ、興味があるんじゃないかな?」
 ふん、とクリスティーが鼻を鳴らす。
「一分野に秀でた者は、他の分野での著しい欠落が顕著な場合があるという。私の場合はこの蛮行がそうであろう。一度たりとも、性に興味を抱いた事はない」
 きっぱりと言い放つ。
「そうか」
 オーギュストは短く答えて、もう一度指を鳴らした。
 バシーッ。
 鋭く、小気味よい音が弾ける。
『ひぃー』
 少女が甲高い悲鳴を上げ、縛られた不自由な体を跳ね躍らせる。
『もっとだ。もっと鳴け!』
『ああー、もう許して…』
 何度も何度も、少女の白い裸体に鞭が走り、赤い痕が網の目状に描かれていく。
「この声は……」
 クリスティーが震える。聞き覚えのある声から、恐ろしい連想をしてしまった。
「ちがう。そんなはずがあるわけがない」
 何度も頭を振って、痛いほど下唇を噛み、クリスティーは愕然と立ち上がった。
「こんな手の込んだ細工をするなんて、どこまで卑劣な男なの……」
「俺は何もしていない。リアル画像だ」
「うそ」
「よく見てみろ」
「嫌」
 睨むクリスティーの髪を掴んで、無理やりミラーへ顔を向けさせる。
『どうだ。いやらしい顔だ。ほらほら。泣け!』
 調度男は少女の顔を鏡に押し付けて、後ろが犯している。
「見ろ。真実を」
「……嫌」
 視線を逸らそうとするが、オーギュストは顎を掴んで、それを絶対に許さない。
「お前の親父さんだ」
「違う……」
「俺の親父も、軽い認知症で近所迷惑だったが、お前の親父は、全女性の敵だな」
「ち、違う」
「廃位してから、自由奔放に、趣味にのめり込んでいたわけだ。まぁ高尚な趣味とは言い難いが、老後の生きがいは大切だ」
「断じて……ち…が…うぅ……」
「でも、責めてやるな。親父にこの世界を教えたのは、お前の母親だったらしい」
「……くぅ」
「直にお前もこの才能が開花する。素直に受け入れろ」
 クリスティーの瞳に涙が潤む。その滴にオーギュストは魅入れてしまう。唇と唇が重なる。それはオーギュストにも意外な結果だった。
 唇が離れた時に、オーギュストの口の端から血が零れた。
「私は負けない……」
「頑固だね。俺達は同類だ。結構いいパートナーになれる」
 クリスティーはオーギュストの腕を振り解くと、袖で涙を払い、鼻を一度啜って、出口へと歩き出す。
「親父さんとは喧嘩するなよ」
「くたばれ!」
 強く鉄の扉を閉めた。地下室の空気が振動する。

 オーギュストは餓えた瞳で、元の宿舎に戻って来た。クリスティーとのやり取りで、すっかり燃え上がっている。
 部屋に上がると、酔い潰れたバイエルラインを妻のベアトリックスが介抱していた。ようやく起き上がろうとするバイエルラインの首に手刀をあびせて、もう一度夢の世界へ舞い戻らせる。そして、呆気に取られている人妻を押し倒した。
「自分で濡らせ。でないと尻の穴を使うぞ……」
「は、はい」
 顔を覆った驚きが、瞬く間に喜悦に代わる。
 ベアトリックスは清楚なスカートを捲り上げて、シルクのショーツの上から指でなぞり始める。忽ち、ショーツに黄色にシミが生じた。
「もっと早く」
 オーギュストの鞭のような声が飛ぶ。
「は、はい」
 下士官に叱咤された新兵のように返事して、ショーツの生地を脇に寄せて、直に指を突っ込んだ。
 グチュ、グチャ……。
 艶やかな水音が、ワ国風の部屋に響き、蜜が畳みに滴った。
「旦那の前で、ハメるか?」
 狡猾な顔で言う。
「はい」
 当然とばかりに頷く人妻。
「私は貴方の女です」
「よし」
 オーギュストが腰を沈めた。
「あぁーん、もっと、もっと、もっと突いてっ!」
 媚びた甘い声を発し、快楽を貪り求めた。ほんの一メートルほど離れた所に、夫が眠っている。何時起き上がるか分からない。そんなことなどお構いなしに、吼えた。吼えまくった。
「壊して、わたくしを壊して、何もかも壊して!!」
 後方にのけぞり、持ち上げられた足がピーンと伸び、小刻みに痙攣する。
「はあああああっ!!」
 それから、ぐったりと畳みに沈んで、両目を閉じた。そして、ハアハアと荒い息を繰り返す。汗に濡れ放心した表情は、ゾクゾクするほど美しかった。


 トントンゲーム(41章参照)の小さな円が激震する。
「ああ、また負けた……」
 オードリーが項垂れ、
「強靭! 無敵! 最強!!」
 マルガレータが拳を握る。
 二人はふわふわの絨毯に寝そべって、ゲーム版を叩いていた。
「ほんと強いわー」
 オードリーはふわりと顔の前で手を組み、驚きの声を放つ。
「ふぅん、貴様ごときに、オレのパープルアイズショッキングドラゴンはやぶれん!」
「へ?」
 髪は豪奢な黄金で、太陽の下を歩いた事がないかのように、肌は白く透き通っている。極めて華奢な身体は、まさに骨と皮だけという感じで、生きるに必要最低限しか所持していない、と穿った印象を抱く程だ。
 まさに天使のような可憐な美しさをもつ少女だったが、ただゲームとなると、何かが乗り移ったように、烈しく熱くなる。
「ワハハハハハ。よくよくオレは勝利の女神につきまとわれているようだ…」
 そして、決まって、狂ったように意味不明の台詞を叫び上げる。
「闘いの生態系!! 闘いの食物連鎖!! 雑魚は誇り高き獅子に触れることすらできない!」
「……」
 オードリーの目が点となる。
「すまない。普段は普通なんだが……」
 すかさず、レオンハルトが兄として正式に謝罪する。そして、扉近くで控えているマルティナに目配せした。
「オレは真の決闘王となり、真の未来を勝ち奪る!」
 マルティナは小さく頷くと、尚も絶叫するマルガレータの眼前へ進み、大鷲が羽ばたくように両手を広げて、パチンと猫だましの要領で叩いた。
「はっ、……マルティナ」
 マルガレータが正気に返り、穏やかな声を発する。
 オードリーとレオンハルトは、ほっと息を吐いた。
「あの男に五十一連敗してから、ちょくちょくちょっとおかしくなる。『誰が百戦だと言った。オレと貴様の戦いに終わりはない。オレが貴様から完全な勝利を治める日までな』とか喚きだして……全部あの男が悪い!」
 レオンハルトの瞳の中で、オーギュストに対するやや理不尽な憎しみが炎となって燃え上がっている。
「少し無礼な男だったわ……」
 それを受けて、オードリーは、やや言い難そうな態度で、それでもはっきりとした声で言う。
「そうだな。君は主君筋にあたるのに、あの態度はない。思い出しただけで腹が立つ。所詮ならず者だ」
「ええ」
 オードリーが迷いなく頷く。頷いてから、遠い目をして宙にイメージを描き出す。
「でも、戦士の指じゃなかった……」
 そっと触れた指先が何故か頭から離れず、何時でもくっきりと思い出すことができる。
「戦士といっても、魔術師だからな」
「そうじゃなくて……まるでピアニストのようだ……」
 窓の外に広がる、大森林が作り出す漆黒の闇に手をかざしてみた。
「ピアニスト、そいつは滑稽だ」
 レオンハルトはオードリーの戸惑いを正確に理解する事はできなかった。そして、短絡的に貶したと判断して、話題を自分の範疇へ引き戻す。
「心配する事はない。あの男の栄華も長くは続かないだろう。敵意と裏切りの中で、今夜にも無残に殺されているかもしれない」
「不吉ね。恐いわ」
 すっかり怯えてしまう。
「すまない」
 レオンハルトは笑って見せて、その場の空気を繕う。そして、オードリーの肩に腕を回した。
「正直私にもよく分からないけど、教会の上層部では強い反感があるらしい。さっきの台詞も受け売りに過ぎない」
「何をしたのかしら?」
「さぁなぁ……」
 レオンハルトは首を捻った。
 その時、マルガレータが二人の前へ顔を出す。
「話は分かりました。マルガレータにお任せください」
 不適な笑みで小鼻を膨らまし、小さな胸を叩く。


 会談二日目。
 いきなりオーギュストは大幅に譲歩をする。
 レオンハルトの平和省主体の枠組みに対して恭順の意を示し、アーカス内の既得権益の多くを放棄して、フレイ要塞のあるフレイ郡の割譲のみを要求した。そして、賠償金も請求せず、代わりにアーカス艦隊の解体し、その艦船を全て買い取る事を約束した。
 会談はスムーズに進み、平和省陣営が回答を翌日に行うことを決して終わる。
 そして、その時がやってきた。
 オーギュストが会場を出ようとすると、急にその足が止まった。
「どうかなさいましたか?」
 侍るファルコナーが問う。
「今悪寒がした……」
 オーギュストが顔色を悪くして、油汗を垂らしながら呟く。
「ふぅん」
「邪気が来たか…」
 おもいっきり舌打ちをする。そして、逆光の中にスモークが吹き上がり、摩訶不思議な白いコートをまとったマルガレータが、立ち塞がった。
「貴様にはわかるハズだ! 心に沸きたつ決闘者の血が、オレ達を再び巡り合わせたことを!!」
 オーギュストを気絶するほどの眩暈が直撃する。
「見なかった事にしよう」
「もう遅いようです……残念です」
 ひそひそとオーギュストとファルコナーは、絶望的な気分で耳打ちし合う。
「勝利への飢え…敗北の渇き…その苦しみからやっとオレは逃れる事ができる! その苦しみを貴様に教えてやる!」
 指紋が見えんばかりに、意気揚々と人差し指を突きつける。
「分かった。ただし――」
 ようやく悪夢を受け入れる決心ができた。
「ゲームじゃつまらん。剣で勝負しよう」
「へ?」
 予期せぬ返答を受けて、マルガレータの思考が止まった。奇抜な奇行は得意でも、機転や応用はからっきしできない。
「えっ、えっ???」
「分かりました。その勝負は私が受けましょう」
「えーーーえっえええ???」
 混乱するマルガレータの隣から、マルティナ・フォン・アウツシュタインが進み出る。
 軍神マルスに由来する名に恥じない南陵紫龍流の剣士で、小麦色に焼けた顔、長身で広い肩幅、服の上からでも分かる腕と太腿の筋肉と戦士に相応しいがっちりした肢体の所有者である。
「ただし、一本でも私が取ったならば、マルガレータ様の願いを聞き入れて頂きたい。如何に?」
 瞬きさえも許さない鋭い眼光である。少しでも萎えれば、忽ち牙を剥くだろう。退屈で燻ぶっていた気分が、俄然昂ぶった。
「ほぉ。俺もこういう展開は嫌いじゃない。が、多少役不足である。ラン、胸を借りろ」
「はい」
 ランが一歩前に出る。
「俺の不肖の一番弟子だ。こいつを倒す事ができたなら、俺は敗北を認めよう。ただし、こいつが勝った場合は、この護衛は俺がもらうぞ」
「なっ、なっ、なっ!」
 マルガレータは焦るばかりで、何一つ思考がまとまらない。
「俺のところは人材不足でね。昨夜も簡単に賊を侵入させた」
 マルティナはじっとランを睨み、
「分かりました。お受け致しましょう」
 悠然と承諾する。
――どうなっているのよぉ!
 心の絶叫が瞳の中心でこだまする。
――拙いんじゃないのぉ!!
 額に噴き出た嫌な汗が、微震する瞳の周辺を滝のように流れ落ちていく。


 芝生の庭に、高い柳が塀を隠すように一列に並ぶ。すでに葉は落ちつくし、糸のような枝が、風に靡いている。
「始め!」
 ランとマルティナが対峙する。
 ランは精神を集中して、剣を顔の横に立てる。
 マルティナも肩から、背中に配した細く長い剣を抜く。そして、身体の背後に剣を流した。脇構えである。剣の長さを錯覚させ、かつ、ランに剣の始動を見せない。
「ハッ!」
 静寂の中で、かっとマルティナの瞳が開く。先に動いたのは、間合いの長いマルティナの方だった。長い腕を伸ばし、大きな弧を描く軌道で剣を振る。
 その踏み込み合わせて、ランも打ち出す。
 マルティナは剣を横に寝かせているために、正面はがら空きである。かつ、直線的な北陵流の剣捌きの方が断然速い。
 しかし、瞳の端で追っていた、マルティナの剣が視界の外へと消えた。
――まさか……。
 そして、まさに剣を振り下ろそうとした寸前で、死角から迫る剣の気配に、思わず剣を下げて、防御の徹する。
 ガツン、と剣がぶつかり合った。
 長い腕をしならせて斬るマルティナの剣は、ランの想像を超える加速で、かつ、凄まじい威力があった。
「うぅぐぅ」
 防いだランの身体が浮く。
 すかさず、マルティナの剣が切り返されて、逆から回り込んでくる。
 ランは小さく動いて、再び防ぐ。それでも、マルティナは止まらない。繰り返し左右から打ち込み続ける。
 返しは南陵紫龍流の真骨頂である。鋼の剣が竜の首のようにうねって見える。

「あれが南陵紫龍流『龍首旋舞』か……。鮮やかだ」
 縁側から観戦していたオーギュストが、マルティナの技の冴えに唸る。
「だが、ランも冷静に反応している。初速はまだまだだが、精神に粘りが出た」
 椅子の肘掛に肘を乗せ、頬杖をつく。
「あとは……気付けよ、ラン」

 銀色に輝く龍が多数、鎌首をもたげてランを襲う。空気を切り裂き、金属が衝突する甲高い音が、絶え間なく続く。
 体格の差が、徐々に顕著になっていく。じりじりとランが後退していた。
 その時、ランが勝負に出た。大きく下がり、左右の斬撃の全容を、その視界に納めようとする。
 しかし、それはマルティナの、否『龍首旋舞』の想定範囲内である。
 長い脚を踏み出して、マルティナが追撃する。
 だが、それこそランの狙いであった。巧みなステップで、下がりかけた足を止め、逆に前進して、マルティナの懐に踏み込んだ。

「あ……」
 オーギュストが顔を顰めた。

 鍔迫り合いをすると思われた瞬間、マルティナの剣先が、ランの剣に対して、直角に突き当たる。
――し、信じられない……。
 ランの剣は見事に叩き折られた。
 恐怖と驚愕が、ランの感覚を麻痺させ、ただ呆然と立ち尽くす。
 そして、マルティナが徐に冷たい白刃を喉元に当てる。
「参った」
 ランは喉を搾って、屈辱の言葉を吐く。

「龍首旋舞の術中に嵌まったな」
 肺中から息を吐き出して、オーギュストが呟く。
「横撃は微妙に角度を変えながらも、ほぼ一箇所に集中させる。剣にダメージを蓄積させて、最後は龍首で剣を食い破る。よく奥義を伝えている。久々に面白いものを見た」
 オーギュストは立ち上がった。
「宜しいのですか?」
 ファルコナーが囁く。
「ユリアにキツネリスを贈るのも、いいだろう」
「残念です……」
 しかし、決してユリア様は喜ばないであろう、とファルコナーには分かっている。それだけに涙を流さずにいられなかった。


【ワルスゴルム大森林】
 会談三日目。
 マルガレータは、猟尸師(獣を捕らえる狩人)などを雇い入れて、ワルスゴルム大森林の端に位置する樹海に踏み入る。
 百年を超える齢を誇る大木が、ずらりと聳え立つ。サイトの裏庭、大森林の入り口に過ぎないのに、その光景は、まさに圧巻としか言いようがない。
 遥か頭上に生える葉によって、光は遮られ、世界は日中でも青く薄暗い。僅かな木漏れ日によって、朽ちた大木が倒れ、折り重なっているのが確認できる。その苔が剥げた場所を道として、一向は進む。
 マルガレータの後ろに、オーギュストも護衛として随従する。
「やっぱり酸素濃度が違うわ。頭の細胞が生き生きしてくるのが分かる」
 マルガレータが無邪気にはしゃぐ。
「ええ、肌が白くなりそう」
 そして、並んで歩くオードリーが答えた。彼女は、レオンハルトにお目付け役を依頼されて、同行する事になった。
「止まって。あ、あれ何?」
 巨大な頭嘴と、そして、長い脚をもつ鳥が、澄んだ池の向こう岸で水を飲んでいる。それを指差して、マルガレータは駆け出した。
「ティアトリアです。飛べない鳥の仲間では最大です」
「ふーん」
 追いかけてきた初老の学者の解説を、マルガレータはうきうきと瞳を輝かせて聞いている。
「マルティナ、捕まえ……なくていいわ。もっと可愛いやつにしましょう」
「はい」
 マルティナは、素早く進み出て、弓を構えたが、その甲斐なく、手にした矢をまた矢筒に戻す。
「ああ、早くキツネリス、見つからないかな」
 マルガレータが嬉々として身震いする。そして、前へどんどん進んでいく。
「見せ場がなかったな」
 追い付いたオーギュストが、マルティナに声を掛けた。
「自分の役目に専念してください」
 淡白に告げて、マルガレータを追いかける。
「やれやれ、愛想がない。そう思わんか?」
 オーギュストは取り残されたオードリーに話しかける。同郷だから、馴れ馴れしい。
「いえ」
 蟠りが消えず、オードリーは朝から一貫してよそよそしい。
「先日は失礼した」
 丁寧に、そして無駄な事を付け加えずに謝罪する。余計な事をすれば、また本音がもれてしまう。
「いえ」
 また素っ気なく返した。
「戦うしか能のない無骨な田舎者ですから」
 こういう言い方も、オードリーの癇に障って仕方がない。
「止めて下さい。それではウェーデリアが軽んじられます」
 声を抑えようとしたが、ついつい必要以上に大きくなってしまった。ざわざわと鳥が飛び出すのに気付いて、口元をハンカチで押さえた。
「重ね重ね申し訳ない」
 思わず、苦笑する。
「お詫びに、これを差し上げよう」
 そして、白い小瓶を差し出す。
「クリームですか?」
「ええ、アフロディースが使っているものだそうです」
 その瞬間、無反応だったオードリーの瞳が釘付けとなった。そして、どもりながら、おずおずと受け取る。
「ああああ、ありが……」
「では」
 立ち去ろうとするオーギュストを、今度はオードリーが呼び止めた。
「あ、あ、あの」
 プレゼントを貰う間柄で、不仲で別れる事を、育ちのよいオードリーは非礼と感じた。特にオーギュストは祖国が産んだ英雄である。
ただ親しく接しようとすると、なぜか緊張感が出てくる。
「ど、どう、どうして……マルティナなのですか?」
「ああ、昨夜胸を射抜かれました」
 オーギュストは人差し指を矢代わりにして、胸を刺してみせる。
「まあ……」
 心底驚いたようで、大きく目を見開き、両手で口を塞いだ。
「時計がなければ即死だったろう」
「犯人は?」
「さあ。三重の魔術結果のほんの数センチの隙間を正確に通している。凄腕のプロだろう」
 オーギュストは軽く笑った。
「恐ろしい……」
 瞬く間に、オードリーの顔色が真っ青になる。ウェーデリアは治安が悪化し、暗殺は他人事ではない。
「だから、優秀な護衛をスカウトしている」
「そうですか」
 納得して、穏やかに頷く。『優雅に泳ぐ白鳥も、水面下では必死に足を動かしている』という言葉を思い出す。思い出すと、急に親しみを感じ始めた。
「でも、マルティナはマルガレータ様にとって、ただの護衛ではありません。姉のようなものですから…その……」
 上手く言葉が出てこない。
「分かっている。だから無茶はしてない。さて、じゃじゃ馬姫を捕まえるか」
 急に会話を止めて、オーギュストは先を急いだ。
「あ……」
 オードリーは小さく呟いた。後から後から、稀代の英雄の話をもっと聞きたかったという思いがこみ上げて来る。

 先頭で、猟尸師たちが集まっていた。どれも難しい顔をして、話し合っていた。
「どうした?」
 マルティナが問う。それに、猟尸師は様子がおかしい、告げた。何が、とさらに問おうとしたが、急に後ろから引き倒された。
「なっ」
 抗議しようと顔を上げて、猟尸師たちが無残に切り裂かれている事に気付いた。
「真空波……?」
「お前はじゃじゃ馬のそばにいろ」
 そう言い残して、オーギュストは前へ出ていく。
「雑魚を狩る、つまらん仕事だと思っていたが、まさかお前と会えるとは……」
 木々の間から声がした。そして、漆黒の鎧をまとった仮面の男が闇から現れる。
「マスクドベルセルク(第29章参照)……。確かデスマスク(第37章参照)といったな」
 一瞬で、オーギュストの表情が引き締まった。
「我らの間で言葉は不要。語るは剣のみ。『Sword』」
 そこへ森の奥から、一匹の昆虫型幻獣『ヘラクレスビートル』が飛来する。カードを突き抜けた瞬間、『ビートルソード』に変化した。
 オーギュストは両手を掴むように左右に広げる。と、その先の空間が捻れて、オーギュスの手首から先が消える。そして、引き抜いた時、右手にはエンジェリックブレイド、左手にはライトニングドラグブレイドが握られていた。
「いざ」
 デスマスクは、不惑の構え、蜻蛉に構える。
「決着をつけてやる」
 オーギュストは二剣で構える。構えた瞬間から、視界から不必要な風景が消えてしまった。雑念邪念が微塵も残らない、深い深い、光さえも寄せ付けぬ水の底へ精神を沈めていく。そして、デスマスクの内面までも見通す、鋭い眼光を光り輝かせる。
「きぃえぃいいいい!!!」
 デスマスクは、壮絶な気迫をマスクの奥から放ち、一閃振り下ろす。比類なき速度は、切り裂く空気の悲鳴さえも抜き去り、人智を超えた正確無比さで迫る。まさに一撃必殺の剛剣である。
 オーギュストは二剣を交差させて受け切る。衝撃は足を突き抜けて、足元の石になりかけた倒木へ伝わり、蜘蛛の巣のようなひびを走らせた。
 白刃の下で、視線が絡み合う。
 オーギュストは押す。それに反発するデスマスク。その力を利用して、オーギュストは右のエンジェリックブレイドでビートルソードを巻き込み、半身になると、下に潜ったライトニングドラグブレイドを抜いて、背中を通して、デスマスクを衝いた。
 デスマスクは咄嗟に飛び下がる。そして、オーギュストの左腕が伸び切った瞬間、鼻先にライトニングドラグブレイドの冷気を感じる位置で、徐に構え直す。
「きぃえぃいいいい!!!」
 再び、全身全霊をかけた一撃を放つ。狙いは伸びたオーギュストの籠手である。
 素早く手首を返して、ライトニングドラグブレイドで受けをみせる。しかし、刹那、間に合いそうにない。
 と、見せかけて、デスマスクに見劣りしない速度で、エンジェリックブレイドが翔け上げる。
 すれ違いざまに、ビートルソードをはね上げた。さらに二の剣ライトニングドラグブレイドが、その名のとおり稲妻の如く、デスマスクの胴へと摺り上がる。
 間一髪、浮いていたビートルソードの押さえが間に合った。
 上のビートルソードと、下のライトニングドラグブレイドが擦れて、美しい火花を散らす。
 その直後、両者は肩で強烈にぶつかり合った。小さなフェイントを互いに織り交ぜて、弾かれたように両者は遠く離れた。
 はぁはぁはぁ。
 互いに荒い息を吐く。一気に汗が吹き出して、激しく蒸気が湧き立つ。
「何?」
 デスマスクの腕が痺れて、力が入らない。
「それが限界のある人間の躯体だ。どうだ、愛おしくなったろう?」
 まだ余力のある声で、オーギュストが言う。
「また会おう」
 そうデスマスクが告げると、両者の間で、倒木が折れた。デスマスクは谷底へと落ちていく。
「運命の悪戯だな」
「追撃……を……」
 戻ってくるオーギュストに、マルティナが言う。しかし、その声は震えて、身体は氷付いたように動かない。
「ここは敵地だ。余力が残っている間に、退却するぞ」
 厳しく言う。
「し、しかし……」
「子供がいる」
 オーギュストはマルティナの肩を叩き、マルガレータを見た。
「あれはいい女になるな。男を退屈させない運命を持っているようだ」
 疲れた果ての、爽やかな笑顔を見せた。


 長い瞑想を続けていた、エルフ王アルトゥーリンが神殿から出てくる。プラチナの髪を雑に垂らし、間から、純白のビロードを思わせる美しさ肌と深碧の瞳が覗ける。
 150cmの小柄な身体を、黒い絹で巻き、よりいっそう透明感溢れる清楚さが際立っている。
「森を封鎖せよ」
 久しぶりに見える家臣に対しての第一声である。
「如何されました?」
 紫色の髪をしたエフルの娘が問う。
「森に邪悪な気配があった」
 鈴のような声で、真面目な口調を作る。
「邪悪?」
「二つの破壊の衝動がぶつかり合った。このままでは森の秩序が崩壊する。戦士たちを集結させよ」
「はっ」
 素足のまま、アルトゥーリンは宮殿の中を歩く。
「余の鎧を持て」
 勇ましく言い放った。



続く


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