エリーシア戦記
...Record Of Ariesia War...
第42章 蟷螂之斧
【神聖紀1228年9月11日、ペルスコラ城】
頭上には、どんよりとした漆黒の雲が低く垂れ込め、時折、天の怒りの如き雷鳴を響かせている。また足元では、絶え間なく打ちつける荒々しい波の音が、恰も地獄の番犬の咆哮の如く轟いている。
「雨が振り出すぞ」
「まだなのか?」
「しばし待て」
深夜、季節を先取りした冷たい風が吹き付ける岬から、三つの尖った声が重なり聞こえてくる。
岩の隙間から噴き出す、火山性ガスの影響で、岬には雑草一本生えない。絶えず硫黄の匂いが漂い、むせ返る熱で、生命の営みを拒絶する死の世界である。
キーラは天を仰ぎ、極々近い未来の、至極当然な天候予想を淡々と告げる。着込んでいる黒いレザーの戦闘服が、夜陰に溶け込んでいた。
ライラは無意味に脚を震わせて、しゃがんで作業を続けるサンドラの背に、イラついた声をぶつける。
サンドラは、精神の9割がたをガス集め作業に没頭させ、残りで抑揚を抑えた声を作り、ライラをあしらってみせた。
「用意できたぞ」
サンドラは立ち上がり、細いロープをそれぞれに手渡す。その先には黒い風船がふわりと漂揺している。
「よし行くぞ」
ロープを身体に巻きつけた三人は、ライラの掛け声で、順次、宙へと浮き上がった。そして、湖岸を吹く風に乗って、ペルスコラ城を目指す。
「時間だ」
宙を漂いながら、キーラが呟く。と、岬に設置されていた大砲に高エネルギー弾が充填され、短いオーラを発した後、瞬間移動された。
ほぼ同時刻、眼下の城内で、白い火球が闇の中で輝き、その上を黒い風船が流れていく。
「何だ! 何が起こった?」
二の丸櫓では、城の守備を任されているロックハートが、指揮官席から飛び起き、通信兵の後に立った。
「矢弾痕跡なし、投石音なし、魔術障壁損傷なし」
「幽霊だとでもいうのか?」
「分かりま――第二波来ました」
白い閃光と地響きがする。ロックハートはよろけて、兵の椅子にしがみ付いた。
「方位は?」
「やはり不明です」
「すぐに城門を閉じろ。敵襲だ!」
ロックハートはじっと唇を噛む。
「ふざけた敵だ」
三人はゆっくりと本丸へ降りていく。その下では、小さな光が揺れていた。
「ライラ様、キーラ様、お待ち申し上げておりました」
レグルス・レオが、光を放つ手槍を背中に回して、跪く。レグルスは、黒光傭兵団の副長であり、団長パン・カプリコーンの片腕である。(30章参照)
「お前が協力を受け入れてくれて、感謝するぞ」
「私とて、フェルディアの人間です。自由を奪われ、まるで囚人のように扱われるテレジア様を見て、心が引き裂かれるような想いでした。皆様のお役に立てて光栄の限りです」
「うん」
ライラは凛とした顔で、レグルスの顔に刻まれた、フェルディアの男性を表す刺青を確認して、小さく頷く。
「して、彼奴は?」
そして、キーラが静かにオーギュストの居場所を尋ねた。レグルスは立ち上がると、鐘楼のある建物を指差す。
「総帥は、聖堂です。ここから聖堂へは直廊になっています。ただ直廊は三つの房に区切られ、そのひとつひとつを、親衛隊や魔法騎士団などが守っています。彼らを総帥は、『鎮守直廊三人衆』と呼んでいるとか」
「頭数は互角だ」
額に滲んだ汗が、頬を流れ落ちて、顎の付近まで達する。サンドラは手の甲で拭い、短く呟く。
「だが、もう後戻りは出来ない。行こう」
ライラは先頭をきって走り出した。
「女とはなんぞ! 答えい!」
最初の房では、ランが仁王立ちで問う。左目には白い眼帯を当てている。
「お前たち、卑怯だぞ――」
その背後から、香子が顔を出す。
「姉御が酔って柱に顔をぶつけた夜を狙って襲ってくるなんて。姉御が許しても、この猪お香様が許さない」
「君、ちょっとうるさいよ」
ランは赤く染まった顔を隠すように横を向き、小さく唇を震わせながら、囁く。
「あれは親衛隊です」
と、レグルスが情報を伝える。そして、背後を警戒した。親衛隊の兵力に囲まれる事を心配している。
「フフフ、心配するな。ここに居るのはボクたちだけだ。フッ、お前達如きに、大切な部下を過重労働させる訳にはいかん」
腕組みして、眼光鋭く言い放つ。
「てゆうか、姉御のために過重労働をする隊員なんていないさ」
再び横から口を挟む香子。ランは静かに目を閉じる。
「ちょっとでいいから、口を閉じていなさい……」
深い感情を込めて、大きな息とともに小さく囁く。と、香子は大きく頷き、上下の唇を糸で縫う仕草をした。
「レグルス」
ライラが、レグルスへ目配せする。
「否、ここは任せてもらおう」
サンドラが一歩前へ出る。
「剣士には剣士の流儀がある」
レイピアを抜き、ほぼ喉の前で、相手に向けて剣を水平に構える。天蠍流の独特の構えである。
南陵天蠍流。その極意は、攻撃後の剣を引く速さにある。敵の間合いを見切り、間合いの外から、正確無比に斬撃を放ち、忽ち、元の位置へ戻る。一切の乱れを作らない、攻防一体の流派である。
「はっ!」
瞬速の踏み込みで間合いを詰め、渾身の突きを打ち放つ。
「フフフ――」
ランは不敵に鼻を鳴らすと、親衛隊の象徴である、縁がそり返った白い羽飾り帽子を、銀十文字槍の刺繍の施された藍色のマントを、勇ましく投げ捨てる。
「貴様の剣はすでに見切っている」
一旦だらり腕を下げて、精神を鎮めると、かっと眼を開く。そして、愛剣オーキッドブレイドを抜き、顔の横から、一颯、鮮やかにあびせる。
篝火の揺らぎの中で、二つのきらめきが交差した。
サンドラは時間を遡ったように元の位置に戻っている。まさに、天性の敏捷性と肢体の柔軟さの為せる技であろう。
「北陵流か……まさかこんな所で出会えるとはな」
薄い笑いを口の端にこぼした。そして、根元から折れているレイピアを見遣る。さらに、裂けた肩当てに指を添えて、鎖帷子の乱れを確認した。
「名を聞いてやろう」
「フフフ、死に行く者に名乗るべき名前はない。ただ人はラフカットダイヤモンドと呼んでいるらしい。計り知れない底深い能力の所以であろうが、この場では、流浪で未完の天才剣士とだけ覚えていてもらおう。何れは、未完は完璧と響きを変えて、天下に轟く事だろう――」
ランがだらだらと名乗りをする間に、サンドラは予備の剣を受け取っていた。
「し、しまった。時間稼ぎだったのか!!」
香子が叫ぶ。
「あははは、バカで助かった――」
笑いながら、サンドラは構え直す。
「油断したが、次はない」
「フフフ、何回やっても同じこと」
ランは大きく円を描くように腕を回して、剣を顔の横へ運ぶ。
その瞬間、サンドラの剣がランの眼前に殺到した。一撃、二撃、三撃と必殺の突きを浴びせていく。驚くべき軽捷さであり、ランに高めた精神を解き放つ余裕すら与えない。
しかし、ランは天性の目と勘の良さで何とか、紙一重でかわしている。
――このままじゃダメかも……。
ランは焦る。当初の思惑では、この攻勢を耐え抜き、サンドラの息切れを待つ、だったが、北陵流に専念するようになって、これほどの波状攻撃に晒されたことはない。何時しか、『北陵流に防御の型はない……』ささやかな不安が胸を掠めた束の間、『北陵流の構えのままでは防ぎ切れない』という弱気が脳裏を埋め尽くした。
ランは本能的に、眼前に迫った剣先を払った。しかし、余計な動きは、必ず隙となる。そして、達人はそれを見逃さない。
サンドラは腰を沈めて、一意専心、突きを打ち放つ。
剣先は、ランの左下からはね上がってくる。そこは眼帯で死角になっている。咄嗟に、左手を上げて、掴むように防いだ。
サファイアクロスの籠手が、烈しく火花を散らした。
「くっ、これが実戦か……」
もしサンドラの剣が予備ではなかったら、
もしランのまとう鎧が最新最高級ではなかったら、ランの腕は切断されていただろう。
現実には、ランは後方へ吹き飛ばされてしまった。そして何とか、片膝をつき、傷めた左手を庇いながら、辛うじて剣を構え直す。
「姉御」
香子がランの前に立ち、扇を広げた。
「どけ。女同士の真剣勝負を汚すな」
「いいえ退きません」
ランは怒鳴ったが、香子は首を振る。その時、侵入者達の背後で足音がした。
「不逞な者達め。そこを動くな」
小次郎が独り駆け込んでくる。
「ここは引き受けた。さあ」
サンドラはがら空きとなった扉を指差す。
キーラが反論しようとすると、ライラがその肩を掴んで止めた。キーラは振り返りしばしライラの瞳の中を覗いた。そして、その揺るぎない信念に、はっとして、ついにゆっくりと瞳を閉じる。
「……」
「さぁ時間がない。行け!」
「分かった。だが、必ず追いつけよ」
「ああ、あんな男に負けやしない」
サンドラが吼えると、キーラとライラは快活な笑顔で答える。そして、阿吽の呼吸で走り出した。これに、レグルスも無言で続く。
「お前の相手は俺だ」
サンドラが突く。間違いなく、仕留めた感触が手に残っていた。しかし、剣先に血はなく、数枚の、半紙大の紙が突き刺さっているだけである。
「なっ」
次の瞬間、紙は、ずしりと重くなる。サンドラは支え切れず、剣先を地面に落とす。
「呪紙舞」
小次郎が低く告げる。
「この薄い紙は、水分を与えられると、鉛とかす」
そして、胸元から複数枚を取り出すと、サンドラ目掛けて、はらはらと投げる。
サンドラは折れた剣で、懸命に払い落とそうとするが、紙は二つ折りになって刃身にくるりと巻き付き、またも重くなっていく。
腕がだらりと下がると、そこにまた別の紙が巻き付き、さらに脚にも巻き付いていく。もはや立っていることも出来ず、沈むように倒れる。そこへさらに紙が舞い落ちて、瞬く間に、繭のような姿になった。
「こ、殺せ……」
「生憎だな。お前は全て白状してから死ぬのだ」
サンドラの顔に紙が張り付く。
「やれやれ。この程度だったから良かったが、もし姉上のような者が相手なら、苦労するだろうなぁ」
大きく息を吐き出して、緊張のない声を放った。
二つ目の房に入ると、いきなり雷撃が襲ってきた。侵入者達は、まりのように飛び散る。
「よくぞトラップをかわした」
房の奥に、女魔術師が悠然と立っている。
藍色のとんがり帽子に、魔術師のローブをまとい、碧色のミニスカートに、棒のように細い太腿の下に黒いブーツを膝下まで履いていた。
「少しは楽しめるかな」
シズカ・キサラギが、挑戦的な視線を向けて、小悪魔的に言う。
「生意気言うな。この程度の稲妻、俺が相手してやる」
キッと目尻を吊り上げて、キーラがグローブを絞め直す。
「ダメだ。こんな所でお前を無駄遣いできない」
透かさず、ライラが止める。
「だが、奴は召喚魔術が使えるぞ」
キーラは渋る。シズカの実力を見抜いての判断だ。
「分かっている。レグルス、お前が囮になれ。その間に、二人で抜ける」
ライラは冷然と言い放つ。レグルスを捨石にする、とあからさまに宣言したのだ。
「はっ」
レグルスは素直に頷いた。端から予測していたらしく、表情に変化はない。そして、ツインランサーを振り回して、派手にシズカに突進していく。
シズカは詠唱を行い、雷の指を突き出す。
「ブリッツェン・ヴィルトカッツェ」
雷の塊がロッドの先から飛び出し、瞬く間に、毛を逆立てる獰猛な山猫へ変化した。
召喚されたばかりの稲妻の山猫が、シャーッと吼える。レグルスが斬ろうとするが、凄まじい勢いで飛び上がり、四方八方へ稲妻を走らせた。
その瞬間、キーラとライラはそれらをかい潜って、扉へと向かう。
三つ目の房の扉をくぐり、二人は視線を絡めた。
「雷撃が止んだぞ――」
キーラが扉を強く押し込んで閉めると、反感的に状況を呟く。
「所詮男だ。役には立たんぞ」
分かっているとライラが呟き返す。
「キーラ、時間がない。私はここの番人を倒して、さっきの女を足止めする。その間に、この争乱の元凶を討ち取れ」
篝火が作り出す濃い影で顔の半分を隠して、ライラが告げる。
「……分かった」
「頼む」
短く、だが、深刻に意志を通じ合わせる二人。
「話し合いは終わりましたか。ライラ殿」
天で雷光が走った。パン・カプリコーンの姿が闇に浮かび上がる。
「ここを黙って通しなさい」
ライラは言うと、『センチピードビュート』をふるって、地面を削る。
パンは顔を猛々しく歪めて、乾いた声で笑う。
「くくく、時代の変化も見えぬか」
「貴様の罪は万死に値するが、今なら、全ての罪を許してやろう。祖国への忠誠と我らへの敬意を示せ」
ライラはもう一度、毅然とした声で厳命する。
パンは長刀を抜き、刃身を顔の前に掲げて、額の刺青を映す。みるみる目が吊り上って、鼻が膨らみ、口が左右に大きく裂ける。吹き出す息は、怒気と言う毒で濁っていた。
「あなた方は、そうやって命令し、そして、鞭で打つ。そうしてさえいれば、男は黙って従い続ける、と本気で思っているらしい。滑稽過ぎるぞ!」
パンが烈しい感情を爆発させた。
「この城も直に破棄されて、オーディン大神殿として生まれ変わる。そして、闘神教はアーカスに遍く広がっていくだろう。闘神教では、オーディンとエリースは対等に並び奉られる。俺達の夢が現実となるのだ」
「分かった。ここで死にたいのだな。望みを叶えてやろう」
冷ややかにライラは言う。そして、センチピードビュートをもう一度鳴らした。
「蒙を啓いてやる」
パンが、長刀を自在に操る剣技『黒光斬』を放つ。
5メートルはあるであろう扉を、力任せに押し開いていた。衛兵は一人もいない。全集中力を瞳に注ぎ、闇夜に咲く雷光を最大限活用して、聖堂内部を観察する。
「これは何だ……」
思わず愕然とする。
椅子や机など祈りのための必要な物が全て片付けられて、ルーレット台やビリヤード台などが並べられ、その周囲に空き瓶が無造作に転がっている。明らかにこの神聖な場所を盛場にした形跡である。
「許せん!」
真一文字に固く唇を結ぶ。そして、ブーツで割れたボトルの破片を踏み潰しながら、慎重に歩を進める。
「まさか逃げられた……」
一瞬、不安が過ぎる。
「待って、待て待て待て待て待て」
高鳴る動悸の中で、オーギュストの声が頭に響いた。まるで直接脳内へ送り込まれたようで、全く雑音なく聞こえてくる。
「お前喰うつもりだろ? 手をどけろ」
「焼くんじゃないのか?」
「わざわざフェルディアから持ってきたんだぞ」
「けっ、フェルディアかァ」
「どうした?」
「女とは言う生物は、どうしようもなく度し難いな」
「お前にだけは言われたくないだろうな」
聞こえる会話とは関係なく、一気にキーラの緊張が最高潮に達していく。
――居た……!
声の方へ視線を向け、ついに視界にその姿を捉える。
オーギュストは、女神像の台座の影になっているパイプオルガンの前にいた。黄金の鳥籠を挟んで、もう一人とぐだぐだ酒を飲み交わしている。
「結婚して半年だぞ。もう別れ話か」
「毎日毎日、姉ちゃんと毎日言い争うんだぜ。つかれちゃって……」
マックスは言いながら肩を落とし、見事な巨体を猫背にする。
「情けないなぁ。俺なんか、聞き分けのない女は、一つ二つ頬を叩いて、後は背中を向けてタバコを吸うだけで、泣こうが謝ろうが、一言も喋らないぜ」
「すげえな。さすがだ。でも、何処かの歌に似ているな。それにお前タバコ吸ったか?」
「飲みが足らんぞ。まぁ飲め」
「おっどもども」
オーギュストが荒い手付きでマックスのグラスに酒を注ぐ。マックスはすっかり出来上がっていて、口へ運ぶまでに、ぼたぼたと半分近くをこぼしてしまう。
「とりあえず、姉か嫁かどっちか選ぶしかないな」
オーギュストは、金の鳥籠の中の小鳥へエサを与えながら、淡々と告げる。
「そんなこと、出来るかァ!」
即座に拒絶すると、マックスは頭を掻き毟った。
「あーあ、昔はあんなんじゃなかったのに……」
主語が抜けているが、おそらくは両方のことなのだろう。オーギュストは金の鳥籠に向かって忍び笑いをもらす。自分より女に苦労している人間を見て、愉快でたまらない。
「なぁ助けてくれよ。お前が一言言えば……」
「アホ」
鳥のエサを投げつける。
「俺はお前から婚約者を奪った男だぞ。介入したら変だろうが」
「そうかな?」
真っ赤な顔を傾げると、ふいに何か思いついたのだろう、オーギュストを真摯な目で見詰めた。
「お前が決めてくれ。俺はそれに黙って従う」
一方的に言うと、きちんと正座した。
「じゃあ嫁だ」
あっさりと言い切る。
「さすがに、短期間に婚約破棄と離婚は不味い。ウェーデリア人の品格を疑われる」
「う、うーん。ちょっと短絡的じゃないか」
朝令暮改ばりに、マックスは不満そうに唸った。
「お前の嫁の軽薄さは嫌いだが、姉さんも性格がきついからな」
むっとしたマックスが、おい、と腕を伸ばした。それをオーギュストは簡単に捻る。
「い、いたたあ……」
「だったら愛人と言う選択肢がある」
「愛人?」
大袈裟に歪めていた顔を、真顔に戻して聞き直す。
「こっちで雇った調理主任が美人だった。ほら、ターラっていただろ? あれを10年ちょっと熟成させた感じかな」
「従順か?」
顔よりも性格を気にするようになった友に、オーギュストは苦笑する。
「勿論」
オーギュストが手を離すと、マックスは酒瓶を掴んだ。
「そんじゃお返しに。あれ、もう空じゃねぇか」
瓶を振って、僅かな滴をグラスへと落とす。それから、瓶の中を覗き込み始めた。
「せこいな」
「上品ぶるな」
ほろ酔いの中で、オーギュストはふいにこの光景を懐かしく思う。
――あれ?
以前どこかで経験したような感じがする。記憶の糸を手繰ろうとした時、思わず息を呑む。その瞳には、静かな湖面から登る煌びやかな天の川が映っていた。
この星の光を掴もうと、少年達は短い腕を伸ばしていた。情熱をぶつけ合い、また清廉な夢を語らい、透きとおる涙で頬を濡らしたこともあった。毎日が胸熱い前夜祭だった。思えば、若さなどと言うものは、何かが出来る訳ではなく、何でも出来ると信じる事が出来る事なのだろう。少なくとも、今よりは清々しく死ねたはずだ。
「どうした?」
「いや」
問うマックスにも、無邪気さが蘇っている。口煩い先輩の顔だ。それに呆然と答えて、オーギュストは顔を上げていく。
――ああ、こんな風に、こいつと甲板で酒を飲み交わす今日もあったかもしれない……。
口元に小さな笑みをこぼした。
耳にあの頃の少年達の歌声が聞こえてくる。彼らとの出逢い、研磨した日々が、どれほど豊かな力となっていることだろうか……。
『おい、行こう』
少年達が、マストへ競って登り始めた。
『おい、島が見えるぞ。お前も上がって来いよ』
『おお』
オーギュストも行こうと気が急く。
唐突に、これまでの出来事が夢幻で、ただアルバトロス号でうたた寝をしていただけのように思えた。
「おい、ホント大丈夫か?」
「え?」
マックスの少し萎れた声で、殺伐とした現実に引き戻させる。気付けば、オーギュストは無意識に立ち上がっていた。
――ああ、そうか……。
そして、あの少年達を、自分の手で、ブルサの冷たい大地に埋めてやったことを程なく思い出す。
「あ、酒を探してこようと思って」
とりあえず、言い繕った。胸には裂けんばかりの切なさが澱んでいる。
「そんなの俺が行くぜ」
マックスは空瓶を片手に、よろよろと立ち上がる。
「全くどうかしてる」
マックスの背中を見送りながら呟くと、自虐的に髪を荒く掻き毟った。
しかし、思えば遥か遠くまで駆け抜けてきた。振り返るとそう思える。恋人どころか愛人の話をしているのだ。ましては自分には子供までいる。不思議な気分だった。
「なぁ、俺が死んだら、俺の……野望を受け継いでくれるか?」
「そんなこと出来るわけないだろ?」
「だな」
咄嗟に野望と言い換えていた。笑うしかない性であろう。
「おっ、女中さんが残ってるじゃねぇか。早く酒……あれぇえええ???」
言葉の途中でマックスの体が、天と地を逆さまにして宙を舞った。
「女性への不敬、万死に値する」
キーラはマックスを壁へ投げ飛ばした後、オーギュストを毅然と睨む。その顔をぼんやりと眺めて、オーギュストはやや首を傾けた。それから尻に敷いていたファイルを取り上げる。そして、「ええ」とやや驚いた表情を見せ、やや間を空けて「ああ」と気の抜けた声を出した。
「いい気分で飲んでいたのになぁ……仕事かぁ」
横に投げ出してあった上着を拾うと、その胸ポケットから時計を取り出す。
その表面ガラスに赤い光が反射して、写った顔が、みるみる引き締まっていく。
「バカからアホまで、なかなかのタイムだ。だが、まだ甘い」
言葉尻に、仄かな冷笑を口の端に浮かべた。
その殺気が、全身の肌に突き刺される。キーラは、全神経が焼き切れんばかりの刺激に見舞われていた。
――この俺が震えているのか……。
一度敗れたとはいえ、これほどの動揺を感じる自分に戸惑いを禁じ得ない。
一方オーギュストは悠然と背を向けて、パイプオルガンの前に座る。キーラはそれを見送るしかない。
「で、外の連中はどうだった?」
しなやかに指を動かして、雄大で穏やかな曲を聖堂内に轟かせた。そして、その曲に乗せて、暗殺者へ親しみに満ちた声で話しかけた。
「強がるな。お前の策を破り、俺達は突破した。必ずその命、貰い受ける!!」
キーラは怒鳴り、鋭く指差す。が、その指先が微妙に震えている。それを隠そうと、素早く背中へ回した。
「一度、現状を確認しておいてもらおうと思ってね」
あくまでも、かみ合わない返答をして、オーギュストは瞼を閉じる。そして、曲のテンポを上げて、楽しげに肩を揺らし始めた。この弾むような曲調に合わせて、鳥籠の中の小鳥も、黄金の翼を広げて囀る。
「見ての通り、甚だもって人材不足だ。寝所直廊三人衆は、女性で構成したい」
「笑止!」
凄まじい勢いで吐き捨てると、自力で戦士の矜持を絡め取ろうとしていた鎖を払い除けた。独りで挫けかけた心を立て直した力量は、さすがにフェルディア最高騎士に値するだろう。そして、キーラは『守ったら負ける』と心で叫び、身動きができなくなる前に、全身全霊をもって攻撃に打って出た。
「お前はここで死ぬのだ!」
颯爽とジャケットを跳ね上げて、腰に巻いたカードデッキから、カードを一枚引き抜く。
「その意気だ」
オーギュストはパイプオルガンから立ち上がった。
この時、異様な光景が生まれている。堂々と正面を見据えるオーギュストと、演奏を続ける蜃気楼のようなオーギュストに分かれていたのだ。だが、極度の緊張から視野が狭くなり、キーラはそれに気付かない。
「召喚、冥府魔道ぉ闘神んん!!」
一気に5枚のマジックカードを取り出す。『影武者』『象より巨大な騎馬』『幻醒剣』『斬鉄剣』『八雷』のカードが、キーラの周囲を廻り、連携して魔力を発動させた。
魔の波動が疾風の如く駆け抜ける。その発生源では、闇の質量が急激な膨張を続けていた。ピンポン球ほどのものが、瞬きの間に人の背丈を越えていく。聖堂内に漂う空気を押し出し、高窓のステンドグラスを外へ砕け散らせ、それでも足りずに、天井の梁をへし折り、屋根を崩壊させる。
大きく空いた屋根の穴から、大粒の雨が振り込む。垣間見える漆黒の空で、稲妻が垂直に走った。
そして、馬の嘶きとともに、8種類の蹄の音が轟き、8本足の騎馬に跨った、闇と悪意の権化のような、漆黒の鎧をまとった騎士が出現した。
「行けぇぇぇ! 鬼畜外道、八つ裂き雷神剣、稲妻如き八つの斬撃が、如何なるものも切り裂く!」
「ほお。にしても、強力、凶悪だな。いやらしいまでの執念を感じる。それほど俺に会いたかった……と言う訳か」
澄まし顔で顎に手を当て、オーギュストが感想を述べる。そして、有ろう事か、笑顔を湛えたまま、無残に切り裂かれた。だが、血は噴き出さない。代わりに、細かな粒子となって散り消えていく。
「囮だと、バ、バカな……」
愕然とするキーラ。オーギュストが存在した床に、『Trick』のカードが落ちている。
「まず敵の戦力を探るのは、兵法の定跡だろ?」
今度は、パイプオルガンを演奏していた、もう一人のオーギュストが立ち上がる。
「警戒しない方が悪い。油断したな」
その瞬間、キーラが目を剥く。
「その通りだ。油断した方が悪い。俺の攻撃はまだ終わっちゃいないぜ。行け。『悪逆無道、無限槍』、貫け!!」
そのよく通る声が終わった時、巨大な槍が、空間を引き裂いて直下してくる。
オーギュストは右手に持った剣を振り上げた。ドラグブレイドである。二つの先端が衝突、衝撃波が水平に広がって、頑丈な石壁に亀裂を走らせた。
幻の槍は消滅、ドラグブレイドも柄だけを残して砕け散った。
「第二波は威力が落ちているな。限界か?」
「ふざけるな。俺の攻撃はまだ終わっちゃいないぜ!」
キーラが威勢よく叫ぶと、それまで断続的に光っていた雷が、急に鎮まり、一瞬辺りから色が奪い去られた。それは次に来る大襲撃を予感させた。
オーギュストは頭上に魔力を察知して、僅かに瞳を動かした。
「『残虐非道、天の裁き』、邪悪を焼き尽くせ!!」
キーラの絶叫が鼓膜を叩く。と、槍の軌道跡を、渦を巻くように雷が下ってくる。
「無駄だ。お前の手の内は、すでに見切った」
落ち着いて答えると、オーギュストの瞳が、神々しいまでに赤輝した。そして、オーギュストは折れたドラグブレイドを翳し、そこに七色に輝く魔法陣を描く。
「雷撃を生贄に、龍剣に新たなる盟約を授けん」
雷撃が吸い込まれていく。否、それだけではなく、天空に漂っていた、行き場のないエネルギーまでも食い尽くしていく。
光の濁流の中、魔法陣から、猛々しい嘶きが響いた。そして、一匹の雷龍が踊り出て瞬く間に雨雲を喰い尽し、露になった星々を頂く天を貫くように伸び上がっていく。しかし、それも束の間、次の瞬間には縮小して、刃が波状になった剣と化している。
「絶対神剣『ライトニングドラグブレイド(雷龍剣)』とでも呼べばいいだろう」
天井のない聖堂に月明かりが射し込み、恰もスポットライトで照らされたように、オーギュストは立つ。そこで、左手の指を顎に当てて、ネーミングに悩む格好をした。
「……まだだ!」
キーラはひしひしと迫り来る死の恐怖に血が凍り付きそうだった。だが、その怯えに負けじと再びカードを引く。
「『エレメンタルブレイド』。さらに、『影遁』」
二枚のカードを連続で発動された。瞬時にキーラの両手に黄金の剣が現れる。
「でぇええい」
それを大きく頭上まで振り上げて、自らの影へと振り下ろした。
一方のオーギュストは、射抜くような視線をキーラへ送り、それから、ちらりと床に描かれた影を確認する。
「浅いな……」
意味ありげに呟くと、剣を足元の影へ突き入れる。
互いの影が不気味に波打つ。その波はオーギュストとキーラの影から、天井の梁を写す影へと移り、二人のほぼ中間距離で激突した。刹那、龍の嘶きと、雷の迸りが影を衝き破って弾ける。そして次の瞬間、一気に、波がキーラの元へと押し寄せていく。
「うっ」
キーラの呻きと共に、黄金の剣に精霊が逆流してきて、ついに砕け散った。
「見え見えだぜ――」
オーギュストが剣を肩に担いで、弟子を諭すように語り掛ける。
「マジックカードは、万能じゃない。融通が利かない。変化がない。そして、攻撃の意図を読まれ易い。実は俺もマジックカードを発動させていた」
奇術のような指使いで、顔の前にカードを翳す。
『Fluoroscopy(透視)』
カードには、キーラの13枚のカードが小さく一覧されている。
「お前のカードデッキは見れば、その戦術は一目瞭然。ならば、その反抗手段を編み出すことなど造作もないこと。この天を覆う星よりも数多い策が生まれたが、その全てを記憶できない、この脳が悲しくも愛おしい」
鉤状にした人差し指で、こめかみ辺りをトントンと叩いてみせる。
「黙れ、黙れ、黙れ!!」
それでも、キーラはカードを一枚取り出す。もはや理性は失せて、ただ狂気に似た意地だけで動いている。
「『卍手裏剣』を召喚」
指先で高速回転させて、ただ猛然と投げる。
『Dummy(偽物)』
「マジックカードの正しい使い方を教えてやる」
オーギュストも新たなカードを取り出す。
魔力がカード内に組み込まれた回路が駆け巡って、白い光線を一線放射する。そして、飛来する『卍手裏剣』を捕らえた。
オーギュストはカードを女神像へ投げる。と、『卍手裏剣』は、軌道を逸れて女神像を向かい、その胸を抉った。
「こいつはサリス国宝のベンズカードから、俺が選別したものだが、見ての通り、補助的な役割ものばかりだ。これしか使えない。攻撃には向かない。一定以上の能力を有する魔術師の前では、ご覧の通りだからだ。この結果は必然だ。無駄な努力だったな」
「だから何だ。俺は決して諦めない!」
もはや自暴自棄であろう。三度、カードを引く。だが、オーギュストもカードを使う。
『Rob(強奪)』
キーラの手からカードは、オーギュストの手に移る。
「『ヅラスラッガー』ねぇ。こんなんばっかだな。どんな面子だったんだ?」
オーギュストが眉を顰め苦笑する。
「黙れ……」
喉の焼けるような渇きの中、キーラは無意識に顔を伏せ、蚊の泣くような声を出す。
「そう落ち込むな。人は間違いを犯す。そのたびに反省して、次回挽回すればいい。これで一人前の番人になれたな」
「まだ言うか!」
果てしない絶望の果てに答えがあった。勝ちはない。だが、キーラに降服も逃亡も考えられない。この唯一残った命を捨てて、戦士の矜持を明らかにする。それが仲間に報いるただ一つ道であろう。
「そうだ。その目だ。元より、俺がお前に期待しているのは、こんな陳腐な魔法じゃない。戦士としての気骨と闘志だ。だから手の込んだ事をしているのだ。俺の配慮を理解して感謝して欲しいね」
「ふざけるな!! お前の言葉などに惑わされるものか。俺は自分自身だけを信じる」
キーラはカードデッキを投げ捨てると、殴りかかっていく。
左、左、右。くるりと廻って、裏拳。さらに、腰の捻りを利用して逆回転、太ももへ右回し蹴り。そのまま右足を軸にして、後回し蹴り。再び右足を蹴り上げて顎を狙い、後に、頭へ踵を落とす。しかし、そのすべてを受け流されてしまう。それでも、攻撃を止めようとせず、強引に胸へ頭突きを行う。
「姿勢が崩れているぞ」
と、オーギュストが囁く。そして、踝の辺りを蹴り払って、後頭部を叩いた。
キーラはバランスを崩して、『土』の字に倒れる。
冷たい石床を舐めた。その土ぼこりの匂いが、血を氷点以下まで下げる。肢体が震えた。魂が縮んだ。記憶の泉の奥底から、不明瞭な手が伸びてきて、地の底とへと導こうとする。恐かった。竦んだ。幼女のように泣き出したかった。
そして、あの声が、走馬灯のように駆け抜けた。
ちゅぶっ、舌腹を竿に這わせる音。
くちゅくちゅ、エラをなぞる音。
ちちぃぬちゅ、尖らせた舌先で鈴口を突き、唾液を垂らす音。
ぬぽちゅちゅ、つるりと口に含み、亀頭を舌で舐め回す音。
ちゅぼちゅぽぽ、柔らかく唇で締め付け、ゆっくりと前後に頭を振り、竿を根元まで飲み込む音。
ぢゅるぢゅるる、唇をエラに引っ掛けて、口を窄めて吸い上げる音。
「アァンッ」
だが、膣口に舌を入れられては、口技を続ける事ができない。思わず、愛おしいペニスから唇を離してしまう。顔を仰け反らせて、遠吠えするように喘ぐ。
ぶしゃあっ、びしゅ、びしゅ。
これは、潮をあの方の顔に吹きかけた音。何と恥知らずな行為だろうか。それでもあの方はその滴を吸い取って下さる。
「うーぁん、うぅんっ」
膣の奥まで、烈しく吸い取られて、不覚にも放心状態になってしまう。しかし、本能でペニスに頬ずりしている。
「あぁ、ほしい、ほしいわ。一気に身体の奥まで貫いて欲しいの!」
ついつい挿入される瞬間を連想してしまい、その切ない願望を口に出してしまった。はしたない。まだお許しも出ていないのに。
「所詮、ふしだらでさもしいオマンコです。どうかお慈悲を。私の身も心も何もかもすべてお捧げします。ですから、逞しいオチンチンで、どうぞ存分にご堪能ください。お願いいたします…私めを…この卑しい牝犬のオマンコを…どうぞお使いになってくださいませ」
もはや一刻たりとも待てない。尻肉をゆすり、両手で割れ目を開いて見せ、涙を流しながら懇願する。
犬のように這い、尻を高く掲げる。
ずりゅっ、めりめりっ。
背後から肉の楔が打ち込まれる。媚肉が軋む、くぐもった音がする。膣穴を限界まで押し広げながら突き進んでいる。
「ああんっ…す、すごい…オマンコ…き…きもちいい……いいのう!!」
深く抉り抜かれ、子宮口を叩かれる。淫らなよがり声をあげてすすり泣く。
じゅぶじゅぶずぼぼ。
怒涛の抜き差しが始まる。
「もっと…もっと…オマンコォもっと突いて…!!」
蕩けて火照った顔を上げ、腰を貪欲揺すりたてる。甘美な法悦にひたり切った声で鳴く。
どぴゅっどぴゅっ。
膣穴の奥深くで、熱い爆裂を感じた。
「イ…っクう……またっ…はぁひあァ……イクぅうううんッ!!」
感極まり、爪を立て、腕を突っ張らせ、背中を仰け反らせ、呑み込んだペニスをきつく締め付け、美しい肢体を痙攣させながら絶叫した。
雷の閃光を見て、ライラの表情が晴れる。
「やったな。キーラ」
「愚かなり」
即座に、パンが笑う。
「まだマジックカードの発動が続いていることも気付かぬか」
さっとライラの顔が青褪める。
「如何な工夫を加えようとも、戦闘中に総帥は無数の反抗手段を編み出される。時代は今最強の男の時代に突入した!!」
「黙れ、下種!! 男など、私一人で……!」
『Fluid』
かつてダーライアから譲り受けたカード(37章参照)で、残っていた2枚のうちの一枚を使う。
「う、うわぁああ」
途端に、地面が流動化して、パンを腰付近まで沈めてしまう。しかし、パンは笑いを止めない。
「愚かなり、愚かなり。これでまた切札が減ったな。俺の役割は、キーラだけを通す事だった。今頃、キーラは総帥の説得を受け入れている事だろう。ガハハハ」
無視してライラは走り出していた。懸命に聖堂へと急ぐ。
「キーラ、今行くぞ」
ライラが聖堂に飛び込む。すぐに強烈な耳鳴りがして、思わず眉を顰めた。苦しげに細めた目で、仁王立ちするオーギュストを見つける。その足元に、倒れたキーラを発見した。
「立て、キーラ。まだ戦いは終わっていないぞ」
凛とした声で叫んだが、キーラは顔を伏したまま動かない。
「お前一人が加わっただけで何が変わる?」
オーギュストは冷ややかに言う。
「貴様!!」
駆け出そうとして、カードデッキに躓く。考えるより早く、それを拾い上げていた。
「召喚、グランドドラゴン。さらに、ダイヤモンドゴーレム」
二体の召喚獣が現れる。
『Fusion』
そして、ライラは最後のマジックカードを使った。と、二体の召喚獣は、溶け出し、混ざり合って、一つに統合される。上半身の巨人が、下半身のドラゴンが、それぞれ不気味な咆哮を上げた。
「ほーお、まさに伝説のティアマトのような姿だ」
オーギュストは薄く笑い、感嘆の声を上げる。
「毎度毎度、色々、手を変え品を変え、ホトホトご苦労なこった……」
呆れたとばかりに、視線を下に落として、本当にイラついた声をもらしてしまう。
その時、オーギュストの背後に、キーラが立ち上がった。
「ライラ、俺ごと打て」
瞳の回りを真っ赤にし、精悍な顔を歪めながらも、必死に羽交い絞めにして、震える唇で叫ぶ。
「だ、か、ら、もう無駄だって……。もう止めようよ。疲れるだけだって。だから、寝所直廊三人衆を、早く揃えておくべきだったんだよ、あーぁ俺ってどうしてこう行動力がないんだろうなぁ……」
オーギュストがぐちゃぐちゃと愚痴っていると、ライラは滲んだ涙を、きっぱりと振り払った。
「許せキーラ。お前の思いは受け取った。ドーピンクドリンクの効果で攻撃力1・5倍にアップ。殺せ、あの男を殺せ!!」
恍惚と咆える。と、ドラゴンが火球を、巨人がドリルを異空間へ転送した。
だが、瞬間的に出現すべき攻撃が、数秒たっても現れない。
「何だ…何なのだ…?」
「だから、お前達が幼稚な知識で、次元を弄っているのは、とっくに気付いているわけよ」
オーギュストは手首を返して、巨大な鳥を指す。自分よりも遥かに巨大な獲物を飲み込んだばかりのように、腹がでっぷりと膨らんでいる。
「これ、聞こえるだろ。この囀りが、時間軸の揺らぎを制御しているわけ。この聖堂内で、瞬間移動は不可能」
「くっ……まさかガルダゾーネ(第37章参照)か?」
「そして、もう一つ教えてやる。お前が苦労して手に入れたものなぞ。俺にとっては、一瞬の閃きにも値しない」
言い終わると、オーギュストの表情に真剣な気迫が漲る。
「次元の狭間に囚われしエネルギーを糧に、出でよ――」
鳥の腹の皮が捲られたように割れる。その内側から白色の光が弾け出て、黒い塊を吹き出てくる。そして、それは先程の召喚獣闘神の姿となっていった。
「ステキ闘神、断鉄斬!!」
聖堂の内部空間が、壁の漆喰が剥がれ落ちるように、崩れ落ちていく。舞い散る現実の欠片を駆け抜けて、光も闇も振り払うように一刀両断した。
「これが実力の差だ」
オーギュストが、背後のキーラに囁く。
――無理だ……この男には勝てない……勝ってこない……。
深層からの声を聞き、キーラは無言のうちに、その場にへたり込んでしまった。
「ティアマトが……くそっ」
荒れ狂う魔力の濁流に、ライラは腕で顔を庇って、吹き飛ばされないように踏ん張る。
「キーラ脱出だ」
腕の下から懸命に叫ぶ。しかし、キーラはもう糸の切れた人形のようにピクリとも動かない。
「それでも、フェルディア最高騎士か?」
烈しく叱咤する。すでに一過性の爆風は治まり、声が聖堂内で虚しく反響した。
「キーラ……お前……」
息苦しい静寂の中で、ライラは友の名を力なく呟く。その能力を認めている親友が、屈服している事を知り、ライラは愕然とした。
その時、どっと兵がなだれ込んできた。
「お前達は……」
取り囲んだ兵は、すべてフェルディア兵である。
「テレジア様の御意思です」
「騙されるな」
「口を慎め」
一歩一歩、ブーツの踵で澄んだ音を奏でながら、オーギュストが近づく。
「お前は死ぬか?」
「うっ」
氷の剣のような一睨みで、ライラの腰が砕けた。
「終わりだな。ふーぅ。ゲホゲホゲホ……ッ」
緊張を解いた瞬間、オーギュストは烈しく咳き込む。
朝陽が、廃墟同然とかした城に差し込む。
「団長、芋に転職ですか?」
首まで埋まったパンに、肩にツインランサーを担いだレグルスが軽い口調で語りかける。
「団長、言うな。大神官様と呼べ、そんなことより早く掘り起こせ!」
湯気が出るほどに、禿げた頭を真っ赤にして、パンが命じる。
「へいへい」
レグルスがツインランサーを伸ばして、大きな欠伸をしながら、適当に首の周りの土を掘り始めた。
「ば、ばか、危ないだろ。刃をこっちに向けるな」
唾を飛ばしながら怒鳴る。
「ったく、注文が多い大根ッすね」
レグルスが悪戯好きな子供のように、瞳を輝かせている。
「うむ? あれは……」
その横を、担架に乗ったオーギュストが運ばれていく。
オーギュストは、港に停泊中の輸送艦マルドゥク号に居場所を移した。この明け方の移送は、軍の内外に波紋を起し、噂に尾鰭が付いて、大きく広がりつつあった。
この船は元々民間の輸送船で、密航などにも使われていた。その時の隠し部屋で、清潔にして簡素、まるで病院の個室のようである。
「アーカス風ポテトと大根のスープです」
「お前にばかり苦労をかけて、いつもすまないねぇ。俺がこんな体じゃなかったら、ゴホゴホ」
「それは言わない約束です。総帥」
ベッドに腰掛けるオーギュストへ、恭しくファルコナーがスープ皿を差し出す。その白い皿の裏側に、ライトグリーンの光が当たり、次に袖が照らされた。と、ぞっとする嫌悪感とともに腕に鳥肌がたつ。
オーギュストのベッドの周囲には、遮蔽フィールドが張られ、空気中のエーテル濃度が高く保たれている。
「あんたじゃ無理よ」
壁際のテーブルで魔道書を呼んでいたシズカが、「やれやれ」と嫌々というオーラを全身から放ちつつ、立ち上がった。
「かしなさい」
藍色のローブから、白く細い手を伸ばす。
「否、自分が……」
ファルコナーは短く抵抗したが、シズカは無視して掴む。しばらく二人で皿の端を握り合う格好となった。
「だから、あなたはあの中へは入れないでしょ」
当人にすれば理屈を言っただけだろうが、言われた方には、きつい口調に聞こえる。
ファルコナーは表情を一切変えず、一本ずつゆっくりと指を上げて行き、ついに皿を離す。
「自分で出て来て受け取ればいいのよ……」
シズカは舌打ちをして、皿を乱暴に差し出す。
「ほらスープ」
スープが揺れて、オーギュストの手に零れる。
「これは失礼」
ふてぶてしく言った。ファルコナーが睨んだが、気にする様子もない。
ついに目を剥いて、ファルコナーは大きく口を開いた。何か言おうとした瞬間、顔を真っ青にして、口を押さえる。そして、「気分が悪いと」と退室した。
「エーテルに中ったのだろう――」
オーギュストは行儀悪く手に乗った滴を啜る。
「しかし、これは大袈裟だな?」
「何、問題あるわけ?」
その時、さすがに目に余ったのだろう、ロックハートが咳払いをした。
シズカはちらりと気にして、大きく息を吐く。
「そんなことはありません」
敬語を使って言い直したが、声に敬意はない。
「この装置は国際魔術機構が総力を挙げて研究した成果です。総帥の魔力を補いつつ、乱れた魔術神経を回復します」
「あははは」
オーギュストは懐疑的に微笑んだ。
『国際魔術機構』は知名度の低い魔術研究の団体だったが、オーギュストが乗っ取り、シズカを会長に据えた。据えて、それで安心したのか、その以後は援助など一切行っていなかった。
「にしても、ただの二日酔いと寝不足だ」
「ミカエラ様からもくれぐれも気配りするよう命じられております」
「あははは」
今度は笑いながら、ちくりと胃に痛みを感じる。
このシズカの後ろ盾に、ミカエラがなっていた。スピノザ家の名声、信用、財力を得て、国際魔術機構は、急激に勢力を拡大し、老舗の『世界魔術協会』や『世界魔術連盟』に迫りつつあった。
シズカはまた元の場所に戻った。そのテーブルには、もう一人女性がいた。紫色の衣に包まれたダーライアである。彼女は一切関わらす、占いを続けている。
「総帥」
スープを啜っていると、壁を背にしたソファーに並んで座っている、幕僚長ロックハートと情報課長刀根留理子が立ち上がって、一歩前に出た。
光の幕の外で跪く2人のうち、オーギュストはロックハートに話しかける。
「以後の作戦は任せる」
「御意」
満足げに力強く頷く。
ロックハートは幕僚長として、遠征軍の指揮を任されている。大雑把な指示しかないオーギュストに代わって、軍勢を実質動かしいている。
彼は旧サリス帝国軍の出身で、生粋の軍人である。オーギュストの信頼も厚い。故に、大きな権限を与えられているのだが、彼がナンバー2という訳ではない。ディーン軍内には、最古参のリューフに、公爵のアレックス、ミカエラの弟フリオが存在している。表面的に彼らが対立することはないが、互いに意識的に距離を作っているようだった。
入れ替わりに、留理子が不満顔を隠そうとせず進言を始める。
「昨夜の作戦を、刀根家の者は何も聞いておりませんでした」
「総帥の決裁が下されていませんでしたから、他の部署まで命令が徹底していませんでした」
ダーライアは平然と答える。
「マックスだな。アイツが旨い酒があると言い出したから悪い。しかし、アイツも生まれ付きマヌケだった訳じゃない。実は産まれてすぐに鏡を見てしまったんだ。世にも稀なマヌケ顔を見てしまい、マヌケの要因がインプットされてしまった……という訳で――」
緊迫する空気の中、与太話に誰も耳を傾けない。
留理子は首を振り、目尻を吊り上げて睨む。
「これは問題です」
「冷静に話しましょう」
「そう言う訳には参らぬ。我が弟は、親衛隊を任されている。総帥の身辺警護は、我ら一族の任務だ」
「まぁそう興奮なさらず」
「なっ……!」
烈しく弾けようとした言葉を、留理子は必死に飲み込む。
「作戦は成功した。それで十分でしょう」
ダーライアはきっぱりと言い切る。
「では、捕虜の尋問は我らに」
「尋問も作戦の一環だ――」
ようやくスープを飲み終えたオーギュストが言う。その声に冗談は混じっていない。ややうんざりした色を瞳に滲ませて、じっと留理子を見据える。
「苦情はシデに帰ってから聞く。今は作戦の遂行に全力を挙げよ」
「御意」
ロックハートが大きな声で返答し、一礼すると、退室していく。その後に、留理子もしぶしぶ従った。
留理子は歯軋りするような思いを一先ず封印して、扉を越える。狭い廊下で弟の小次郎が待っていた。
「姉上」
「フェルディア勢め、はしゃぎやがって。困ったものだ」
「ですね」
「お前の事だ」
「へえ?」
「何故、お前の手で全員捕らえなかった」
「そんな無茶な……何も知らなかったんだ」
小次郎は口を尖らせて、抗議する。
「お前には、この状況が見えないのか――しっ」
廊下の角に人の気配を感じて、強制的に会話を打ち切る。角から現れたのは、ドーメル提督である。姉と弟は、道を譲り、敬礼して見送った。
「シデ艦隊総司令官安湖将軍だとさ」
留理子が毒を吐く。
「それが?」
「艦隊はワンセットしかない。何が『総』だ。調子に乗りやがって」
「確かに」
「他の連中が何を企もうと、とりあえず戦場で手柄を上げる事だ。分かったな。部下に出し抜かれるなよ」
「はい」
小次郎は元気よく頷いた。
オーギュストはベッドを降りて、ナイトテーブルの上に置かれた水を飲んだ。
「総帥」
何かに駆られたように、シズカが呼びかける。
「無礼な物言い申し訳ございませんでした」
深々と頭を下げた。しかし、オーギュストはきょとんとした顔をする。
「ああ、別に気にしていない」
まさに言葉通りなのであろう。見向きもせず、真直ぐダーライアの方へ歩み寄った。
「占いの結果は出たか?」
「はい」
ダーライアはピラミッド状に並んだ十三枚のカードを順番に指差す。
「蟹座のあなたは、何回やっても何回やっても格下相手に梃子摺るでしょう。しかし、焦りは禁物。相手の土俵に乗ってしまうと思わぬ落とし穴が。道具の慰撫は抜かりなく。ラッキーアイテムは、青銅の龍の置物」
「ふん」
オーギュストは荒々しく鼻を鳴らす。
「少年の事から受けてきた、謂われなき嘲笑の数々。今こそこれらを完璧に払拭すべく、おれは蟹座最強伝説を始める」
無邪気な声で言い放ち、天へ拳を突き上げる。
「総帥」
もう一度シズカが殊勝な声で呼びかける。
「あのような態度は……許されない事です」
オーギュストは口の端を上げて、じっとシズカを見入る。そのもの欲しげな潤んだ瞳によって、彼女の意思を正確に読み取る。
「躾をして欲しいのか?」
「はい」
シズカの顔に喜色が浮かんだ。
「俺が直々に、か?」
鋭く烈しく言われる。
「ああ……」
目尻が火照り、小鼻が膨らみ、頬が痙攣して、顎が脱力するように、唇が開いた。
「俺の手を煩わせるつもりか?」
もう一度、まるで鞭で嬲られるような声が飛ぶ。
「お許しください……」
腕が胸の前でねじれ、内股になった脚を捩る。
オーギュストが肩を衝いた。
「きゃぁあ〜」
無様な悲鳴とともに、腰砕けでソファーに落ちる。
「しょうもない猫だな。どうしてやろうか」
ゾッとするほど冷たい響きだった。一吹きで国を滅ぼし、一睨みで他人の命を奪う、絶対的存在を誇る男の声である。
「ああ、そうです。あたしははしたない雌猫です。雌猫に相応しい、どうぞ罰を与えてください」
焦る手つきでミニスカートの中に手を入れ、白いショーツを脱ぎ捨てる。そして、両手を背凭れにかけて、膝を端に乗せて、小さなヒップを突き上げた。
「お、お、お指で……この卑しいオマンコを、嬲ってくださいまし」
暴走する脳の命じるまま、卑猥な言葉を、恥らいもなく口にする。それだけで、背筋が震えて、指先がちりちりと痺れた。
今どんな顔をしているだろうか。壁に鏡が欲しかった。最高に淫乱であろう。見下げた痴女であろう。だが、間違いなく幸せに満ちている筈だった。
「また俺をこき使うつもりか?」
「ああ、すみません。自分で広げます。ですから、ですから……」」
両手で薄い尻肉を掴み、いっぱいに押し広げた。
「どうぞ続きを、指で弄ってください」
真っ白な肌の間に、セピア色のアヌスと、割れたザクロの様に艶めかしい秘唇が露になる。割れ目の周りに、繊毛は一本もなく、色も薄い褐色で、縮れも少ない。今でも、十分に可憐な花びらと言えよう。が、対照的にその奥では、蜜が爛れて、食虫花を連想させるほどに熟していた。
「むぅ」
オーギュストは女の香りを吸い込み、獣のように呻った。
その時、ぽっかりと開いた穴から、新に透明の滴が生み出されて、一筋、太股に垂れ落ちていく。
ついにオーギュストも、じっとしていられず、要望通りに指を運んでいく。
「あっはぁああん、焦らさ……あ、ありがとうごじゃいますぅ……」
焦れたシズカの尻が、ぞわぞわと揺れた。そして、獲物を決して逃がすまいと必死に咥え込むように突き出されていく。その瞬間、秘唇に触れたばかりの指に、熱い飛沫が吹きかかる。
「あっ、はぁーーーン、もう、も、もれちゃうのぉ!」
長く甘い吐息ともに、情けない泣き声をもらしてしまう。さすがに触れられただけで潮を吹いてしまい、羞恥に顔を紅潮させ、身体を小さくまとめていく。
熱く蒸れた膣壷に侵入した指は、つるりとあっさりと深く迎え入れられる。そして、熱く粘り気のある液体で、包み込まれて、ぎゅうぎゅうと締め付けられる。
「あっ、ひぃっ――」
鈎状に曲げた指で、掻き混ぜられ、さらに掻き出すように抜き差しされる。
「ひぃっ…ひぃ…ひぃぃん…」
内臓を引き出されるような感触に、気が遠くなっていく。自分という個が、白く薄れていく。本当に低能な猫に成り果てるような思いがした。しかし、今となっては、それこそも本懐である。
「あんあんん」
鈴のような甘い喘ぎを放ち、ぽたぽたとソファーの皮に滴を落とす。
「あおーん」
否、忽ち断続的に、鯨のような潮を吹きまくる。その際には、世も儚げな表情で、魚のように腰を跳ねさせ、可愛げな声も、低く這うような呻き声に変わっている。
その総量は、ソファーをジュチャジュチャにしただけでは収まらず、床にまで水溜りを作った。一帯この小柄な身体の何処に、これほどの水分を蓄えたいたのだろう。シズカの痴態に、オーギュストは無音で冷笑する。
シズカの意識は完全に異次元へ飛んだ。
「ひぃぃ! イク! イク! イッちゃうよぉ!」
狂ったように絶叫する。もうオーギュストの指さえ要らない。無人の空間に向かって、間欠泉の如く吹き捲った。
濡れたソファーに凭れて、自我を失ったシズカを残し、オーギュストはダーライアへ振り返った。
ダーライアは、紫色のゆったりとした服の上から、股間をまさぐっていた。
「欲しいか?」
「はい……欲しいです」
細い声が返って来る。薄く開いた目でオーギュストを見遣る。その瞳は、期待に媚びていた。
「フフ」
オーギュストが腰を突き出す。
「あぁ……すき……」
ダーライアは椅子を倒して、脱兎の如く動き出し、躊躇なく床に跪く。オーギュストの腰へと屈み込んで、餓えた手付きでベルトを外し、ズボンからペニスを引き出した。
「はぁ……ああん」
その禍々しい威容は、何度観ても、ダーライアの魂を縛る。カードを神秘的に操っていた白くしなやかな指が、幹に巻きつけ、薄紫のヴェールで隠されていた唇が、吸い寄せられるように近づいていく。
「いいわ……すてき。男の匂いだわ」
陶然と呟く。バラの香りを楽しむかのように、たっぷりとその臭気を嗅ぎ、ますます情感的に眉を開いた。
「ああ、憎らしいわ」
狂おしい感情を吐露して、チュッチュとキスをし、長い舌を吐き出して、ペロペロと舐め始める。
「もう虜よ」
うわごとのように繰り返しては、たっぷりと唾液を乗せた舌を這わせ続ける。
「潮吹きはシズカが一番だが、舌使いは、お前が最高だ」
「こっ……光栄です」
快楽がチカチカと視界を金色に染めて行く。口からはだらしなく涎が零れ落ちた。ダーライアはペニス全体を舐めまわした後、しゃぶり、顔を前後させた。
そして、オーギュストは、その口の中に吐き出す。
「アアン、美味しそう」
顔が精液で汚れている。そこへシズカが這いより、舌で舐め取る。その滴を惜しいとばかりに、ダーライアが舌先で追いかけて、二人は舌を絡ませあった。
「さて、どちらから挿入してやろうか」
愉快にほくそ笑む。
【サンクトアーク】
「まことか?」
玉座のクリスティーが、思わず腰を浮かせた。そして、疑いの感情を、顔と声に表してしまう。
確立はゼロではなかった……。
如何に強敵と雖も、必ず油断する瞬間はある。それさえ見逃さなければ、暗殺は可能である。
自信もあった……。
比類なき大勝の直後、降服した貴族達の貢物、そして、未知のマジックカード。
この一夜しかない。そう直感し、確信した。だが、成功の望みは極めて小さい、と覚悟していた。
「はっ、ディーンの首、持参いたしました。ご確認を」
キーラは跪き、重々しく、樽を差し出した。
クリスティーは瞳を動かして、武臣の長老を動かす。彼は古式に倣って樽を覗き込み、
「おお、真にこれこそディーンの首。見事である!!」
と絶叫した。
クリスティーの喉が静かに鳴った。全身を見知らぬ衝動が駆け巡り、その後に、鳥肌を残す。わなわなと唇が震えて、それが全身へと伝播していく。無意識に、両腕を抱きしめた。
「王女!」
シェイクリが進み出る。
「ディーン軍の様子は?」
考えるより早く口が動いていた。
「慌しく退却を始めています」
シェイクリも無自覚に、退却という言葉を使っていた。彼が受けた報告は、ディーン軍の一部が西へ転進し始めた、というだけであった。そこに、希望的観測を加味してしまう。
もしこの時、シェイクリが正確な報告をしていれば、クリスティーに生首の検証に熟れていたら、情報部がもっとしっかり機能していれば、状況は変わっていたかもしれない。
否、縦しんば、これらがきれいに揃っていたとしても、この時に芽吹いた、真実であって欲しいと望む期待感が、クリスティーの心眼を狂わしていた事であろう。それほどに彼女は追い込まれていた。
「直ちに打って出ましょう」
シェイクリが進言する。
「待て。我が軍勢は、サンクトアークを守れ。崩壊したディーン軍が、暴徒なる可能性がある」
「しかし、それでは……」
「この情報をナントのザウリに教えよ。奴の戦力で、ディーン軍を削がせる」
「はっ」
クリスティーの言葉に、シェイクリが力強く頷く。
「あとは政治で解決できる」
ようやく、クリスティーの頬に、血潮を感じさせる小さな笑みが蘇った。
【オールドアーカス】
マルコス・デ・ザウリは、薄暗闇の中で、独り深刻な問題と向かい合っていた。
「本当に死んだのか……?」
幕舎中央の椅子に、固太りの体躯を下ろしている。非の打ち所のない正しい姿勢で、些かの気の弛みも感じさせなかった。
ただその容貌は、半白の惣髪と眉に眠たそうな目をした、至って平凡な中年男性のもので、とてもアーカス一の大貴族には見えなかった。
ザウリは、長めの眉を顰めて、毛の多い太腕を組む。
眼前のテーブルには、クリスティーからの手紙があり、その隣に十枚を超える密偵の報告書が並べてある。そこに書かれている情報どれも、オーギュストの死に結びつく事象ばかりである。
「少し、情報が揃い過ぎているやもしれん……」
この年、50歳半ばを過ぎようとしていた。軍事の天才ヴァルテル・ザウリの三男に生まれて、幼い頃から王家に出仕し、旗本勢として長年実戦の中に身をおいてきた。二人の兄の死により、家督を継ぎ大貴族当主となっているが、豊かな経験と知識を持つ、アーカス髄一の用兵家である。
三年前の『アーカス四姓の乱』(第三十三章参照)では、主導的立場を取っている。オーギュストとの対立を回避し、アーカスを戦乱から救うという一念であった。しかし、オーギュスト重病説で四家の団結は崩れ、結局単独でナント挙兵となった。
この一連の流れに対して、精彩を欠いた、と深く自省し、自らの判断能力の衰えを感じていた。
「叔父上」
甥が光をともなって入ってくる。その背後で隊伍組んで移動する兵の足音が鳴っていた。
ザウリに子はない。姉と妹の子のどちらかを後継者にする予定でいる。
「ご報告します」
跪いて報告する。
年長のアロンソ・ウルサイス・デ・アランサバル。目鼻立ちは整っているのだが、額が広く、頬がこけ、血色も悪い。このために、年よりも老けて見えてしまう。
「退却するディーン軍に対して、エステバンが攻撃を仕掛けました。危険です。直ちに退却をお命じください」
男の割に声が甲高い。やや武将としての迫力に欠けるだろう。性格は慎重であり、手堅く常識的な選択を好む傾向があった。
「エステバンには、わしが先鋒のベルティーニ軍に仕掛けさせた。その反応で、何かが見えてくる」
エステバン・イケル・デ・ハポンは、薄茶色の瞳に、吊り上った眉が迫り、眼光鋭い細面の顔をしている。しかし反面、短気で、かつ忍耐力に乏しい傾向があった。
ともに勇敢な騎士であり、一軍を率いる胆力がある、とザウリは思っている。どちらを後継者とするかはまだ決めていないが、この戦いで、その力量を見極めようと考えていた。
「しかし、罠かもしれません」
もう一度、アロンソは強く進言する。
「罠?」
刺激的な単語に、ザウリは少し眉を寄せる。
「はい。クリスティーとディーンが結託している可能性があります」
「ふむ」
ザウリは大きく鼻から息を吐く。その可能性を考えてはいた。が、確率的は低いと判断している。
「何故そう思う。奴らは仇敵だぞ」
「クリスティーならやりかねませんね。あの女は、狐です。九尾です。絶対不可能と言う事はありません」
アロンソはテンション高く言った。これまでに何度もクリスティーに煮え湯を飲まされてきただけに、警戒心が極めて強くなっているのだろう。
「ならば、ディーンが死を装い、退却を演じているのは、我らを誘う謀略と言う事になる。
さしずめ、サンクトアークで軍を再編して、水軍でポーゼン辺りへ軍勢を送り込む、というところだろう」
「叔父上如何致しましょう」
気色ばんで、言う。
「そう先走るな」
ザウリはアロンソの独走を苦笑交じりにとめる。
「一流の武人と言うものは、明確に目的意識を持って行動するものだ。あわよくば、などと欲を持たぬ。ディーン軍出兵の一次的目標は、アーカス王家討伐であり、二次的にサンクトアーク周辺の占拠だった」
「ならば叔父上は、ディーンがクリスティーを陥れようとしていると?」
アロンソは戸惑いを言葉の中に滲ませて問う。あくまでも、彼の頭の中では、オーギュストよりクリスティーを、より恐れているようだった。
「所詮、推測に過ぎない。だが、敵を恐れるあまりに身動き出来なくなるのは、武人として恥だ」
ザウリは、低い声で答える。
「小官は、何も……」
「分かっている」
反論を遮るように言って、立ち上がり背を向けた。そして、壁に貼られた地図を睨む。
ザウリが本拠地とするナントは、アーカス王国東部の港湾都市で、アーカス第2の人口をもつ。背後のウル山脈には、良質で豊富な鉱山が多数あり、これらの搬出港として繁栄していた。
このナントの南西に、オールドアーカスがある。アーカス王国の旧都であり、ウル山脈を巡る街道の要衝である。アーカスでは河川の整備が遅れて、湖岸沿いの街道は度々交通不能になる。このために、街道の交通量は、起伏があっても山中の街道の方が多い。
また、ナントの上流に位置し、防衛上の最重要拠点でもある。ここが落ちれば、ナントは丸腰になる。
このオールドアーカスを攻略すべく、ディーン軍が三つのルートから迫っていた。これらを迎撃すべく、ザウリはほぼ全軍約二万を率いて出陣している。
地図上では、ディーン軍の動きを駒で再現されている。
「アレックス軍の動きが鈍いな」
顎に手を当てて、鈍く唸る。そこに攻略の鍵があるように思えた。
「何れにせよ。深追いは下策だ。だが、後日のアーカス覇権のために、アレックスをここで叩いておいて損はない。細心の注意を配りながら、アレックス軍を一撃して、離脱する」
「はっ」
アロンソは素直に頷く。
エステバン・イケル・デ・ハポンは、ベルティーニ軍の陣地を一つ奪っていた。大して難しい戦いではなかった。一押ししただけで、戦意なく敵は退いてしまったからだ。直ちに、追撃して、徹底的に叩いてしまいたかったが、伯父への報告のために自重した。
「これが噂に聞くディーン軍か?」
黒い炭になった柵の木材を踏み潰し、苛立ちを露にする。押さえ切れない気迫が全身から滲み出ていた。
「この世は思うほどに広くないのかもしれない」
強敵に挑める高揚感が、迷走しそうになっている。
そこへ通信兵が駆け寄ってくる。そして、アレックス軍への攻撃命令を伝えた。
「よし、受け賜った。セレーネ野郎よりは、歯応えがありそうだ」
エステバンは爽快に笑った。
オールドアーカス攻略戦は、ベルティーニ、アレックス、ルグランジェの三人が任じられていた。
このうち、ベルティーニ軍(1万5千)が最も平坦な北側の道、アレックス軍(1万2千)は中央の道幅が広い道、ルグランジェ(1万3千)は山寄りの険しい道を進んでいた。
そして、オーギュスト暗殺の一報が発せられるや、直ちに全ディーン軍は退却を開始する。無論、擬態である。
特にベルティーニの動きは見事だった。エステバンの襲撃にも、被害を最小限に抑えつつ、あくまでも狼狽した逃走劇を演じた。
ルグランジェは険しい道に憚れて、元々進軍が遅れていた。ために、然程オールドアーカスに接近もせず、また、反転しても僅かしか遠ざかっていない。指揮官の性格に似合わず、中途半端な用兵だった。
そして、アレックスである。長い時間、彼はオールドアーカス付近に居座り続けていた。周辺豪族への調略をぎりぎりまで行い、戦後の影響力を根付かせようという意図があったからであろう。これが彼の躓きの始まりであった。
「戦いながら退いて、密集しろ――」
アレックスが悲壮感を漂わせて命じる。
「攻撃を集中しろ。敵を近づけるな」
一方のザウリは、落ち着いた声で指示を繰り返した。
「斉射三連。後に騎兵突入せよ」
前線に孤立したアレックス軍(1万2千)に、ザウリ軍2万が急襲をした。両軍は正面からぶつかり、さらに、ザウリ軍が有利な高所からを確保していた。狙撃手は狙い撃ちし、騎兵は勢いを増して駆け下りる。
最初の一撃が、この戦いの勝敗を決定付けた。アレックス軍はかなりの広範囲に分散しており、各所を易々と突破された。前線の小隊長や中隊長は、浮き足立つ部下の先頭に立ち勇敢に戦い、そして、その多くが戦死した。
この先制攻撃の成功で、ザウリが主導権を握る。そして、以後一度も攻撃の手を切らす事無く、握り続ける。
「持ち堪えろ。すぐに援軍が駆けつけるぞ」
アレックスは声の限り叫び、将兵を叱咤激励した。そして、戦いながら、部隊を再編、指揮系統を再構築していく。精神が焼き切れんばかりの緊張状態で、彼はよく事務処理をこなしていた。しかし、その努力が全て水泡に帰す事態が起こる。
「閣下、後方に新たな敵です」
「何?」
参謀長が絶叫し、アレックスの顔が青褪めた。
「進め進め!! 獲物が群れているぞ!!」
エステバンは確保したベルティーニ軍の陣から、間道を抜けて、アレックス軍の背後に進出した。さらにその瞬間、ザウリは両翼を広げて、アレックス軍を包み込んだ。
「負傷者を中に。シールドを並べて、防御を固めろ。参謀長、陣形を紡錘形に組み直すぞ。これ以上ここにいては、全滅する。手薄な一角を打ち破って、脱出する」
「しかし、この状況では、それこそ至難の業です」
「あっ!」
アレックスが懸命に打開策を練っている時、流れ矢が司令部に飛び込む。不運にも、アレックスは肩を射抜かれ、重傷を負った。
アレックスが負傷した時刻、ようやくオーギュストがロックハート共にアレックス軍の後方に到着した。麓の平地で、谷間から二本の川が流れ出た場所で、その川辺の小さな神殿を本陣とした。
「アレックスはあんな所で、何をやっているのだ?」
馬から下りて、折り畳み式の椅子に座ると、呆れたように呟く。
計画では、速やかに全軍を平地に転進させる筈だった。
もしザウリが軽率に追って来るなら、反転して、大軍で包囲戦を行う。もし警戒して動かないのならば、その隙にサンクトアークへ殺到する。
この作戦を提案し実施したのは、ロックハートである。彼が危惧していたのは、ザウリとクリスティーの間で、密な連携が結ばれている可能性である。この場合、ディーン軍は二正面作戦を強いられる。これを嫌っての作戦であった。
ただ、クリスティーは敗北したばかりであり、危惧するほどの戦力は残っていない。さらに、ザウリとクリスティーが手を組む可能性も極めて低い。
危機感の欠落は、必然として、油断を招く。全軍に楽勝と言う弛みが蔓延していた。また、大軍が広範囲に展開していたために、連絡に時間がかかり、また、行軍に時間差も生じていた。
「申し訳ありません。小官の見通しが甘かったようです」
「気にするな。まだ負けた訳ではない。緒戦は劣勢でも、挽回して勝った戦いは無数にある。貴公のさらなる働きに期待する」
「はい」
ロックハートは深く頭を下げた。
オーギュストは状況を把握して、命令を与えていく。
「ルグランジェは?」
「依然山間を前進中です」
「よし。ザウリの側面を衝かせる。急がせろ」
「ベルティーニは?」
「戦闘準備はほぼ終えたそうです」
「アレックス軍の後方に位置する部隊を攻撃させろ」
「はい」
「これに呼応して、ロックハートは前進して、アレックス軍の指揮を引き継げ」
「はっ」
ロックハートが踵を鳴らした。
「さらに、リューフに連絡。戦場を左に迂回してザウリの背後を取れ。魔術通信を使え敵に傍受されても構わん」
「総力戦だ。溜まった鬱憤を晴らすぞ」
ベルティーニが攻撃陣形を組み上げた。
第一陣に騎兵を揃えて、これをエステバンに正面からぶつける。敵の意識を集めている間に、弓隊を左翼へ展開させて、側背から、矢を射掛ける作戦だった。
まさにその時、ここしかないというタイミングで、エステバンがベルティーニ軍に向かって反転急襲を仕掛ける。
「し、しまった……」
ベルティーニの頭の中は攻撃一色になり、全思考が前のめりになっていた。そのまさかを衝かれた。
エステバンは、ザウリ本隊から増援を受け、三千の戦力をもって突撃する。
第一陣の騎兵に、槍隊が突進し、隊列を乱れたところへ、騎兵が斬り込む。第二陣に控えていた歩兵を蹂躙する。
一方、エステバンがどいた事で、ロックハートはアレックス軍との連携に成功する。
「友軍を救う。整然と指示通りに行動せよ」
そして、櫛状に布陣し、その先から清新な部隊を前線へ送り出しつつ、少しずつアレックス軍を間から吸い取るように、脱出させていく。
「怯むな。敵に厚みはない。突き破るぞ」
再び、エステバンである。徐々に、侵食を深めている。
「敵は少数だ。包み込み、押し潰せ」
ベルティーニは築いたばかりの陣形を崩して、新に槍衾を形成して防御線を構築していく。これで突進する勢いを削ぎ、さらに、予備戦力の騎兵を反時計回りに動かして、エステバンの背後を襲わせようとした。
だが、ロックハートが攻撃より味方の回収に専念しているために、余裕が出来たザウリは、本隊から約五千の兵を割いて、アロンソに与えると、エステバンの援護を命じた。これによって、ベルティーニ軍の騎兵の意図を事前に挫いてしまう。
ついに、エステバンはベルティーニ軍を食い破った。
「拙いな」
オーギュストが髪をかいた。目の前には、親衛隊しか残っていない。
「総帥」
刀根小次郎が跪いて進言する。
「一旦、後詰のカザルス軍に合流して下さい」
オーギュストは表情を変えず、ヤンを見る。
「ヤン、どう思う?」
「はい」
小次郎の後ろにランと共に控えていたヤンが、一歩前に出た。その足音を聞いて、小次郎が振り返る。
「ここで総帥が転進されれば、敵は一斉に戦場を離脱するでしょう。そして、『逃げた』と盛大に宣伝して、判定勝ちを主張する筈です。我々の敗北です」
「我が軍を前にしてそれは困難であろう」
小次郎が口を尖らせて、反論する。
「いえ、ロックハート軍は圧力が弱く、ベルティーニ軍は混乱しています。さらに、リューフ軍、ルグランジェ軍はまだ戦場に到着していません。このタイミングならば、反転急速離脱も可能です」
ヤンの説明に、小次郎は不本意そうに唇を閉じる。
「そうだな。この場を譲る事はできない。さて、あの軍勢が二つの川を渡るのにまだ時間はある。どうするかだが……」
オーギュストは眼前の地図をじっと凝視した後、顔を上げ、ぐるりと若い仕官たちを見た。
「アン、ダン。俺のために死んでくれるか?」
「勿論です。入隊した折より、総帥に命を預けております。今更何を惜しみましょうか」
「アンの言うとおりです」
アンの澱みのない真摯な発言の後、ダンが力強く頷く。
「よし、出陣せよ」
オーギュストが前線を指差した。
アロンソの軍勢の小鬢に、アンの小隊が突っ掛かっていく。
「何のつもりだ?」
アロンソは首を捻る。歩兵小隊程度が何をしようが、五千の戦力である、損害を意に介する事もない。だが、アロンソは思う。ここに橋頭堡を築かれては、ベルティーニ軍との戦いに支障をきたす可能性がある。何せベルティーニ軍は一万を越えている。
「無視する訳にはいかない。第一大隊を……」
万全を期すために、10倍以上の兵力を動かそうとした。その時、戦力の分散こそ敵の狙いである、と直感した。
「いや、全軍前進。ハエを蹴散らせ」
「おお」
五千が、五十人を追った。ほんの瞬きの出来事である。
「あははは、見ろ、この場所を。敵の喉元が見えるぞ」
前進してみて、この方が断然良かったと気付く。ベルティーニ軍とロックハート軍を分断し、さらに、ベルティーニ軍の背後を進撃するであろうエステバンを援護できる。あわよくば、さらに前進して、敵本陣へ矢を打ち込める可能性さえ見えてきた。血がいよいよ高揚した。
そして、ダンの第二波がくる。
「天の加護よ。全軍前進!」
勇んで、アロンソは前進した。
「長弓隊を有効射程距離まで進める。全軍防備に務めよ」
その時である。背後で砂塵が巻き起こった。
「そんな……何故だ」
「来ましたァ!!」
エステバン軍の接近を双眼鏡で見て、小次郎が絶叫する。
「こちらもです」
そして、別の方角を見ていたヤンも吠える。
「さすがだ。リューフ」
オーギュストはコーヒーを啜り、一息入れた。
リューフ軍は、一気に戦場中央を駆け抜けて、間一髪オーギュストの本陣前へ押し寄せた。
これに、
「何処から湧いたか?」
オーギュストの本陣に突入しようとしていたエステバンが、その命令を飲み込んで、思わず唖然とした声を洩らした。しかし、間もなく冷静さを取り戻し、現実的な思考で『兵が湧く』などという奇術を否定する。その後には、清々しい敗北感が溢れてくる。自分などが想像しようもない用兵がこの世に存在する。この思いがこれほど心地良いとは、本人にも意外であった。
「撤退する」
構えていた槍を捨てて、短く命じた。その顔に些かの不満もない。ただ戦慄に近い高揚感に、手綱を握る手が震えるのを抑え切れなった。
当初リューフ軍は、ベルティーニ軍のさらに外側、主戦場から死角になっている、尾根向こうの街道を繞回運動していた。この地形的特長から、ザウリ軍に妨害されずに、その後背へ回り込める、という目算であった。かつ、それをザウリに悟らせることで、撤退に追い込む意図であった。
しかし、開戦に及んでも、リューフ軍は険しい坂道を進み続ける。ようやく、その視界にザウリ軍本隊側面を捉えたが、高低差があり、攻撃はできない。
ザウリも最低限包囲される危険性を排除し得る布陣をしていた。
リューフは攻撃のために、さらに東に進み、ザウリ軍の後方まで出なければならない。戦局を考えると、到底戦闘中に間に合いそうになかった。即ち、完全に遊軍になっていたのだ。
「これは無意味だ。転進するぞ」
ここに至って、リューフは、独断で繞回運動を断念する。尾根を越えて、主戦場に戻る命令を下した。
ただ最短ルート上には、アロンソがいた。 ベルティーニ軍とアロンソ軍との戦いに参加しても、元々この局地戦では、ベルティーニ軍が数で勝り、敗走させても、さして戦局全体に影響を与えなかっただろう。
また、アロンソを避けて通っても、ロレックス軍とザウリ軍が対峙する主戦場に、リューフ、ロックハート、アレックス、ベルティーニの軍勢が展開する余裕はない。強引に前進すれば、味方に要らぬ混乱を招き、ザウリに乾坤一擲の機会を与えかねない。
ここで、オーギュストがアンとダンを捨て駒として使い、アロンソの位置を多少ずらした。鳥瞰で見た時、奇跡のような一本の道が出来ていた。
リューフはアロンソの背後を駆けて、ロックハートの櫛状の布陣を抜けて、一切の無駄なくオーギュスト本陣前に至る。さすがに、付いて来られたのは、6割弱であったが、それだけで、戦局を劇的に変化させるのに十分であった。
どんなに、エステバンが勇戦しようが、アロンソが知力を駆使して、ベルティーニとロックハートの間から攻撃しようが、一見して勝算は皆無である。
エステバンは包囲される前に、進路を北へ向けて、戦場を離脱すると、東へ退却した。
アロンソはザウリの支援を受けて、辛うじて本隊に合流を果たした。
そして、ザウリは全軍退却を命じた。
これに対して、オーギュストは追撃を禁じ、オールドアーカスの戦いは終わらせた。
戦いの評価をするならば、引き分け、というのが妥当であろう。
細かく見れば、絶対的な損害はディーン軍の方が大きく、しかし、ザウリ軍はオールドアーカスを去り、ディーン軍は大軍で占拠を成功させた。
そして、最も重要な事は、オーギュストとザウリが、戦場で見え、相互に決戦の意思がないことを確認し合った事であろう。
あと、地元豪族にすれば、現実的にオーギュストに従わざるを得ないが、アレックス軍に一矢酬いて溜飲を下げることができた。
要するに、アレックス独りが損をしたのである。
まだ戦いの熱が冷め止まぬ本陣に、ぞくぞくと諸将から報告が届いていた。
オーギュストはまずアレックスの容態を確認して、安堵したように大きく頷く。そして次に、敵別働隊の情報を求めた。
「ほーお、あれがザウリの甥かぁ」
エステバンの資料を取りまとめて、間もなく小次郎が報告した。これを聞いて、感心した声で言う。
「さて、歴史研究者のカルトネタで終わるか、受験生の頭を悩ませる種となるか、見物だな」
オーギュストは無責任に笑った。
そこへ、前線を視察していたナイトハルト・ディアンが息を切らせて入ってくる。
「アンとダンの無事を確認しました」
これに、本陣中が安堵の笑いに満ちる。
「やるな」
ランがヤンに屈託なく言う。ヤンはそれに対して黙って頷くだけだった。
「アレックスとベルティーニを失ったが、アンとダンを得た」
オーギュストが快活に膝を叩く。透かさず、呆れ顔でランが「お二人とも生きておられます」と突っ込もうとしたが、隣のヤンの深刻そうな顔に、思わず「どうした?」と囁いていた。
「恐ろしい二人だ。もう名前を覚えてもらっている……」
ヤンが小さいが恐ろしく低い声で呟く。
「うっ……」
ランは不覚にも剣を落としてしまった。
「さて次はサンクトアークだ。カルロス1世が精魂込めて作った都だ。落とし甲斐があろう。もっとも兵が残っているとも思えんが」
オーギュストはファルコナーが差し入れたコーヒーを啜った。
その直後、後詰のカルザスが到着した。オーギュストは出迎えて労い、軽く握手した。この後、リューフ、ロックハートと続々と諸将が到着する。
【サンクトアーク】
シェイクリが帰還した。
「全員集結せよ」
鎧姿のまま、汗だくで宮殿内の廊下を進む。鬼気迫る表情で盛んに叫び続けていたが、それに答える者は少ない。
「宮殿内の者は、皆集まれ」
シェイクリは、逸る気持ちを抑え切れず、千騎ほどを率いて、ディーン軍の背後を撹乱すべく出陣していた。しかし、途中でオーギュスト生存の報に接して、慌しく退却した。
サンクトアークに到着した際には、軍勢は50人を切っていた。
「シェイクリ様、ご無事でしたか?」
留守番の年老いた武臣が駆け寄ってきた。
「南正門の衛兵も何処かに消えてしまいました……」
「先程見た。残っている者総出で、全ての書類を焼け」
「全てですか?」
「そうだ。例えサンクトアークを占拠されても、アーカス全土を支配させたわけではない。敵が占領政策で四苦八苦している間に、我らは山脈に篭り捲土重来を待つのだ」
「は、はい」
「クリスティー様は、いずこにおわす?」
「それが……キーラ殿が……」
「クリスティー様の居場所のみを訊いている?」
「先程、キーラ殿と出港されましたが……」
「まさか……」
シェイクリが不安で真っ青になる。
「すぐに追いかけるぞ」
「それが……」
言い難そうに、もじもじと渋る。
「どうした?」
声が益々烈しくなる。
「港の入り口で、敵が輸送船を自沈させました」
「なんだと?」
「それに、水兵の多くが脱走してしまい……」
言葉の途中で、シェイクリは膝から崩れ落ちた。
「終わった……アーカスの最後だ……」
敗北感が胸を蚕食した。
続く